もうすぐ5回目の命日が来ます。
私は、昔からかなりのおばあちゃんっ子で、夏休みや冬休み、GWっていう、少しでも長い休みがあると、おばあちゃんの家に入り浸ってました

おばあちゃんは、いつも優しくて、何かお手伝いが出来たり、宿題の答えを間違えずに出来たのを見せると、「ほんにぃ、よう出来たねぇ

」って言ってくれて、私はそれを聞くのが大好きでした

ほんにぃ…が、どこの方言なのか分からないけど、おばあちゃんに笑顔で言ってもらえて、褒めてもらえるのが嬉しかったのだけは覚えてます

そして大人になって、色んな経験を積んできた私と、それ以上に色んな経験を積んできたおばあちゃんとで、子供の頃には出来なかった話が出来たのも、とってもいい思い出です

でも、おばあちゃんが癌だって事が分かって…。
私は、余命を聞いた訳ではなかったけど、物凄くショックだった。
生きとし生ける物は、いつかは寿命が来てしまう…っていうのは分かってるんだけど、まさかおばあちゃんが

って感じだった

母から、余命告知はしていないし、年も年だから進行が遅いのと、手術しても体力的にもつかどうか分からないから、先生と相談して今はしない事になった…って聞いて、何か出来る事はないか

って思った。
おばあちゃんは、母の兄にあたる叔父と2人で暮らしてた。
おじいちゃんが今から10年前に亡くなってから、寂しさに耐えつつ、いずれ1人になってしまう叔父の事を考えつつ生きていた。
本当に優しくて、本当に芯の強いおばあちゃん。
そんなおばあちゃんが大好きで、ずっと甘えてたし、でも…中学生か高校生の頃には、反抗期丸出しな感じできつく当たってしまった事もあった。
だからこそ…じゃないけど、今しか出来ないおばあちゃん孝行ってないのかな

って、めっちゃ考えた。
でも、結果としては、おばあちゃんが無理なく食べられて、しかも好きそうな物を買って会いに行って、ちょこちょこ家事を手伝って、自分達の世話話とかしてただけだったんだ…

それが、おばあちゃん孝行になったか分からないけど、でも他に思い付く孝行がなかった…。
最後に会ったのはお正月だったんだけど、その頃には息苦しさがあったり、咳き込みが激しかったりして、吸入器が置いてあったり、今まで薬飲む…って言えば、せいぜい胃薬くらいよ

って言ってたおばあちゃんが、何だか難しい名前の薬を沢山飲んでたり。
でも、それでも自宅療養が出来てたから、症状としてはまだ落ち着いてたのかもしれない。
私や母達が来て、凄く喜んでくれて、最後には寒いのに外まで送りに出てくれて…。
私は、「おばあちゃん、寒いから風邪引かないようにしてね?また来るから、元気にしててね

」って伝えて、おばあちゃんは笑顔でありがとうって返してくれた

それから1ヶ月ほどたって、実家へ割と頻繁に叔父から電話がかかってくるようになった。
私もその時期、体調崩して入院した後で、実家にいたから、何だ

どうした

って心配で



最終的に、2月半ばを過ぎた頃に、おばあちゃんは入院する事になって、母は仕事の合間を縫って遠くの病院まで通ってた。
そして、3月1日…。
当時、すっかり元気になって自宅に戻ってた私は、不思議な体験をした。
用事を片付けてリビングに入ろうとした時、ドアも窓も全部閉めきってるのに、暖かいそよ風のような物が肩をかすめて、トンって触れられるというか、軽く叩かれるような感覚があった。
何なんだろう

と思ってリビングに入った瞬間、母から電話があって、さっきおばあちゃんが亡くなった事を聞かされた。
もしかすると、あの風はおばあちゃんだったのかもしれない…って、今でも思ってる

今でも、時折空に向けて話しかける。
おばあちゃん、元気

私は今、こんな毎日を送ってるよ

いい事も悪い事も沢山あるけど、空から見守っててね

…って。
おばあちゃん、今でも大好き


おばあちゃんの孫でいられて、本当に良かった

行きたいと思いつつ、なかなか行けていないお墓にも、必ずお参りに行くからね

おばあちゃん、本当にありがとう
