大往生と呼ぶには早すぎる53歳での他界。


熊本にいるときは、

帰省される夏休みが楽しみで。


いつも帰省されたときにはボーリングや

海につれていってもらい、外でBBQをしてました。


なによりも、甲斐家で初めて

東京に出た先駆者。


憧れと尊敬と、心からの優しさに僕は憧れ続け、

東京に来ることの背中を押してくれた人でした。



上京して、約2年間 下宿させていただき、

それこそいろいろな点で喧嘩もし、

細かな点も注意され、反抗し、

それこそ 東京の親父 だったと思う。


彼の背中から学んだことは大きく、

「いろんな価値観を持った人種の混じり住む街で、

自分の筋を一本持ち、歩いていくこと」 と

「ぶれる事なき郷土愛」。


決して、熊本にいることが熊本人足るゆえんではなく、

熊本の精神を忘れないこと。

自らが培って来たことにプライドを持ち、

プライドを持つために努力を惜しまない。

「自分が代表だという意識を持てば、さぼることなんてできないはず。」

そんないまの自分の支えとなっている軸を教えてくれた人でした。




2008年7月21日午前11時56分

ご冥福をお祈りします。

天国で これからの甲斐悠資の活躍を見届けてください。


常に成長.


常に前進.


ずっと中坊だった頃の夏のあの日から


意識してきた自信がある.


けど,だけど,まだまだ.



目指すは はるか“高み”.



今はほんとの道半ば.


だけど,今年は一つのマイルストーン.



今まで溜め込んで,成長させ続けてきた自分を


ようやく社会に解き放つ.



今の自分がどこまでやれるのか.



壁ならぶつかればいい.


障害は多ければ多いほどいい.



あくまで自分の基本に忠実に.


「難関は認めても不可能は認めない.」


根拠のない自信なんていらない.


同時に根拠のないあきらめなんていらない.


難しくても,現状をきっちりとらえた上で,


やってる挑戦なら不可能なんてない.




今,誰かにできてることを 俺ができる自信はある.


けど,俺にしかできないこと まだ発見できていない.


しいていえば,何でもできること.


俺の中ではその先に俺のいるべき場所があるんだと思う.


世界の潮流とは逆に進んでるのをわかっている.


generalistよりspecialist.


俺はspecialist たるgeneralistを目指す.




一歩ずつ.一歩ずつ.




ようやく勝負ができる.


あくまで謙虚に.


それでも大胆に.


自分を信じて.


これからの自分の活躍を


これまで僕の世話になったすべての人にささげます.








やったらぁ.