丸4年ご愛顧頂きありがとうございました | 自然のある暮らし〜程よく楽しく

自然のある暮らし〜程よく楽しく

【いのちを調えること】

50歳を機に大阪から高知へやって来て自分らしく生きていくお話し


日常をただただ楽しく綴って
いきます。

皆さんの生きるヒントに
なれば幸いです

【食といのちのの調理人】小石 美知子です。

本日は皆さんに感謝とご報告があります爆笑照れ

いかがお過ごしだったでしょうか?
2019年も本日だけとなりました。

みなさんの2019年は、どんな1年でしたでしょうか?

ほぼ2ヶ月の間こちらのブログもお休み状態で、短いようで長く感じた期間
もうお気づきの方もいらっしゃるかとは思います笑い泣き

【肴小料理屋 侑歩】2020年1月16 日をもって閉店します。

思い返せば侑歩を始めるきっかけは、こうちゃんの定年後夫婦二人で、ささやかながらも笑顔の絶えない空間を持って人生を過ごしたいという一念でした。

【家族を作りたい】という強い想い。
【家族を作りたい】それは、離婚を経験し、普通のどこにでもあることが、自分には出来ない。

実子が居ないこの言葉を発すれば、違和感を感じる方がいらっしゃるのかも知れませんが、

私の中では、娘とは家族であっても親子ではないと思っています。

それは、娘の実母に対しての敬意であり、事実だと思うのです。

18年前に結婚を決めた時も、
【実子を産むことが出来ても、その選択肢はとらない。私の人生で娘と呼べるのは、たった一人】と覚悟を決めて嫁いで来ました。

その想いは、自分の幼少期に遡り、【男の子を産めなかった】という母のつぶやきから派生し、1人の人として娘に接し、【人並みの生活と豊かさ】を模索しながら

そして18年の時を経て、この1年改めて夫婦の在り方、家族の在り方、人としてどう人生を終えるのか?どう生きるのか?そんなことを考えさせられる1年でした。

これまでは、ずっとこうあるべきと覚悟を決めて、決断して来たように思います。

全てその時々で目標を決めて、今どうすべきか?そのために何が必要でどんな努力をするべきか?

結婚した直後には、リーマンショックという経済を震撼させる近年稀に見る大暴落があり、今あるものを死守するため私の中の【人並みの生活と豊かさ】に、ある意味髪を振り乱して働きました。

朝というには程遠い深夜3時に起床して、お弁当を作り、朝食の準備、洗濯をし、4時半にバイクで老人ホームの厨房に出勤して9時に退勤したら、次は洗い上がった洗濯物を干し、掃除をしながら夕食と翌日のお弁当の準備をして、また10時半に今度は、自転車でデイサービスに出勤する。2時に退勤したら、洗濯物を畳み、ホッと一息。入浴をして、夕食を食べれる状態にしてバイクでまた4時半に朝出勤した老人ホームに。そして8時に退勤して、そのまま飲食店のホールスタッフとして深夜まで。それをほぼそんな生活を週3ー4日ぐらい続けました。まぁ今どき牛乳配達や新聞配達の方々でも起きてないだろうなっていうのが、当時の私の口癖でした。それから、老人ホームの業務縮小や飲食店の閉店などを経験しても、新しい職場を見つけては勤務して足掛け9年続けました。
休みの日には、パン教室、お菓子教室、蕎麦教室にお料理教室。フラダンスにと。


今思えば、70年代の良妻賢母を絵に描いたような。その時はただただ【人並みの生活と豊かさ】その想いのまま住宅ローンを滞りなく払う、人に迷惑をかけない、自分でやり切る。結婚して数ヶ月には、リーマンショックの影響と橋本政権の改革で給与は激減、そんな中で中学受験で合格した娘を抱えて、【収入が減ったから、中学は諦めなさい】とは言えない。
常に夫婦二人で決断するというよりは、
【私がやらねば誰がやる、成せばなる】の想いで突っ走って来たように思います。

では私の中の【人並みの生活と豊かさ】とは
離婚を経験し、家庭を作って笑顔の絶えない空間、食卓を囲む。

そのどこにでもある平凡な日常をただただ有難いと感謝して生きる。

それを強く思えば思うほど、
共感しない彼が疎ましく
共感させたいという執着に変わり、強要となりました。

そして仏門に入るわけではありませんが、一切を手放すことからはじめることにしました。

今ここに立ち返るために
自分の囚われから自由になり
二度とこない今日のために
人と自分を比べないために


人は小宇宙であり、全宇宙という大きな網のつながりの中で生かされている
人は自分の人生の航路の地図を持ち合わせて生きてきたといいます。


禅の考えで【聞思修証 もんししゅしょう】という言葉があり、
聞:メンターとなる人の話を聞き、それは時には読書をして偉人や賢人の知恵を知識として習得しようとします。
思:人生の航路の地図を解釈する必要があるからです。東西南北、地図の尺度など、地図に明記されていることが理解し知識として習得できなければ進むことができません。
そして知識として習得したとしても、現在地が理解できなければ、どれだけ進むかを決めることが出来ません。
修:幾たびも迷い、模索した後、人生の航路の進みます。
証:その先に地図と地図の解釈と自分の実践に間違いはなかったと人生の航路を終えます。



今、侑歩という地図の地点から進み、人生の航路を進めた時、誰の気配を感じていたいか?

そんなことを問いかけると、原点というか人としてどうあるべきか?を一人で過ごすことで考えることも視野に入れて歩むこともと思っています。

そんな中で、【自然の恵み】【全ての生きとしいけるものが活かされている】【調和と共存】というキーワードが心に止まります。

そして
エントリーをしました。
地域おこし協力隊

【JIBAコミ】もまさにこんな想いで立ち上げました。
そして
今月初旬に
山口県の周南市須金地区に事前視察として行って来ました。

徳山駅前には大きな市立の図書館があり、美術館、動物園と文化的建造物もあり、駅前の一方は港が隣接し工業地帯が広がる。そして車で20分も走れば山間の小さな集落が点在します。


その中の須金地区には、住人300人弱の小さな集落。
山の恵みもたくさんあって、何より住人の方々が本当に積極的に地域を活性化させたいと本当に力を合わせて顔晴っておられます。


当日も週末にも関わらず


手厚い歓迎でした。
住民の方々とゆっくりと交流の場を設けて頂き、まずは住民の方々と馴染めそうで一安心でした。
実際住んでみないと分からないこともあるでしょうが、iターン、Uターンの方ともゆっくりとお話し出来るようにと民泊もさせて頂き本当に有意義な時間でした。

選考は来年年明け6日。
合格すれば、単身赴任。一人でこれからの在り方を考えたいと思います。

もう一つは、今まで通り大阪で暮らしながら
【自然循環農法】で有名な川口氏の赤目自然農塾で学ぶこと。

今年1年、精神世界のことに触れるようになってから、
食に関わるものとして、【自然の恵みと共存したい】という思いから、初めはささやかなことからかとは思うのですが、自分の手でやってみたいと思ったのです。

どちらの道に進むかは、今までのように是が非でもという我は出さないでおこうと思います。

選考の合否が出た時にお会いできたらと思います。
侑歩をご愛顧頂きありがとうございました。
この4年でご縁を頂いた方々に感謝して、最後の残務にあたりたいと思います。

本当にありがとうございました。