私が本当の意味で恋をしたのはきっとあの時だったのかな?
今からずっと昔、私が小学六年の冬。
それまで恋をしたことはあるけど、本当の意味ではなかったかもしれないな。
この頃の私の名前は、眞弓 結夏。
私の親は離婚していて、私は母親と一緒に暮らしていたの。
彼と会うきっかけになったのは、3歳年上のともちゃんの紹介。
ともちゃんとは、親が宗教をしていて、そこで友達になったんだ。
その宗教では、子供たちが鼓笛隊をしてたんだよね。
その講師のたかちゃんを私が好きになっちゃった。
見た目はちょっとこわもてな感じで、オーケストラの指揮者をしていたの。
私はこの時、フルートをしていたから、すごく憧れたんだ。
色々、音楽の事を教えてくれるし、恋しちゃったの。
だから、ともちゃんにたかちゃんの事好きになったことを伝えたら、なんとともちゃんも好きって。
それで、たかちゃんの友達を紹介してくれることになったんだ。
私は、小学六年っていっても、身長は163㎝あったから、中三っていってたかちゃんの友達に会うことに。
結局、ともちゃんはたかちゃんと上手くいかず、その紹介してくれた人の一人を狙ってたみたい。
あれは、小六の冬休みだった。
たかちゃんの友達のおいちゃんと、カズくんとともちゃん、私で会うことに。
ともちゃんはおいちゃんを狙ってたんだけど、私は初め見たときに、この人と結婚するって思ったの。
その日は四人で海にいったよ。
あの頃はデジカメってものがなかったから、使い捨てカメラをもっていったんだ。
沢山、おいちゃんの写真を撮ったの。
この日から私はずっとおいちゃんを好きでいたんだ。
写真の現像自分で出したことがなかったから、ともちゃんに頼んだんだけど、結局、私の手元に届くことはなかった…
年に何回かは、少しの時間の時もあったけど、デートを続けたよ。
でも、私の年を初め会ったときに言ってしまったから、相手にしてもらえてなかったよね。
中三の冬に、ともちゃんのあの一言がなかったら、私とおいちゃんは結ばれてなっただろうね。
あの時、ともちゃんに
『おいちゃんは私に興味ないのかな?』
って聞いたんだ。
そしたら、
『興味ないなら、夜勤明けに結夏に会いに行ったりしないよ。それに誘って断られたことないでしょ?だから、勇気を出して!!』って。
その言葉があったから、最後のかけにでたの。
あれは土曜日で、おいちゃんが夜勤明けだったな。
だけど、また会いに来てくれて、ドライブしたんだ。
その時に、勇気を出しておいちゃんに自分の気持ちを伝えたよ。
『好き』
この言葉を言うのが精一杯だった。
おいちゃんはそんな私の頭を撫でてにっこりした。
この日から私達は正式に付き合うことに。
私が15歳の12月15日の事だった。
すごく愛しくて、胸が苦しくて。1分でも1秒でもおいちゃんと居たくて。
毎日電話して、週末は泊まりに来てくれて。本当に幸せだったな。
私は母と住んでいたけれど、再婚すると言うことで、父が一人でかわいそうだからって、父のところに行ったんだよね。
母はそれが気に入らず、それから疎遠に。
父は私が中二の頃から、転勤で栃木県の益子に行っていの。
だから、休みの日に帰ってきてたんだけど、それまでは私一人で生活してたね。
料理は小学一年の頃からしていたので、何の苦もなかった。
それに中学の頃は家庭部っていう部活をしていたから、料理、裁縫、お茶も出来たんだよね。
今思えば、とっても素敵な部活でした。
この部活で、女子力を身に付けたかも(笑っ)
幼少時代は、とても寂しい思いをして来たの。
幼稚園の時に母が副甲状腺の病気になってしまい、長い間入院してたから、父方の実家に預けられていたの。
それが私はとっても嫌だった。
父の実家は、兄夫婦と、子供が3人、そしておばあちゃん。
おばあちゃんも私には良くしてくれなかった。
おばさんはもっと。
私はここに居場所はなかった…
毎日毎日、泣いて過ごした。
ある日、休みで父が来たので、私は家に帰ることに。
これなら一人で家にいた方がいいと思ったの。
小さい頃の記憶は殆どない。
ただこの事だけは覚えていた。
人は嫌な記憶は忘れるように出来ているって聞いたことがあったけど、そのせいなのかな?
母が帰ってきてからは、夫婦仲が悪く母は暴力を振るわれるように。
それで、両親は私が小学五年の時に離婚した。
だから、暖かい家庭というのは、私の中では覚えがない…
だからなのかな、すごくおいちゃんを求めてしまうのは。
おいちゃんはなんでも私の事を一番で考えてくれる。
恋人でもあったけど、親代わりでもあったんだろうね。
私は英語科に行きたかったけど、おいちゃんの家と逆方向にあったから、おいちゃんの家に近い方の学校に行くことにした。
県内初の総合学科の高校にしたの。
上位で高校には入って、楽しい高校生活を…
今からずっと昔、私が小学六年の冬。
それまで恋をしたことはあるけど、本当の意味ではなかったかもしれないな。
この頃の私の名前は、眞弓 結夏。
私の親は離婚していて、私は母親と一緒に暮らしていたの。
彼と会うきっかけになったのは、3歳年上のともちゃんの紹介。
ともちゃんとは、親が宗教をしていて、そこで友達になったんだ。
その宗教では、子供たちが鼓笛隊をしてたんだよね。
その講師のたかちゃんを私が好きになっちゃった。
見た目はちょっとこわもてな感じで、オーケストラの指揮者をしていたの。
私はこの時、フルートをしていたから、すごく憧れたんだ。
色々、音楽の事を教えてくれるし、恋しちゃったの。
だから、ともちゃんにたかちゃんの事好きになったことを伝えたら、なんとともちゃんも好きって。
それで、たかちゃんの友達を紹介してくれることになったんだ。
私は、小学六年っていっても、身長は163㎝あったから、中三っていってたかちゃんの友達に会うことに。
結局、ともちゃんはたかちゃんと上手くいかず、その紹介してくれた人の一人を狙ってたみたい。
あれは、小六の冬休みだった。
たかちゃんの友達のおいちゃんと、カズくんとともちゃん、私で会うことに。
ともちゃんはおいちゃんを狙ってたんだけど、私は初め見たときに、この人と結婚するって思ったの。
その日は四人で海にいったよ。
あの頃はデジカメってものがなかったから、使い捨てカメラをもっていったんだ。
沢山、おいちゃんの写真を撮ったの。
この日から私はずっとおいちゃんを好きでいたんだ。
写真の現像自分で出したことがなかったから、ともちゃんに頼んだんだけど、結局、私の手元に届くことはなかった…
年に何回かは、少しの時間の時もあったけど、デートを続けたよ。
でも、私の年を初め会ったときに言ってしまったから、相手にしてもらえてなかったよね。
中三の冬に、ともちゃんのあの一言がなかったら、私とおいちゃんは結ばれてなっただろうね。
あの時、ともちゃんに
『おいちゃんは私に興味ないのかな?』
って聞いたんだ。
そしたら、
『興味ないなら、夜勤明けに結夏に会いに行ったりしないよ。それに誘って断られたことないでしょ?だから、勇気を出して!!』って。
その言葉があったから、最後のかけにでたの。
あれは土曜日で、おいちゃんが夜勤明けだったな。
だけど、また会いに来てくれて、ドライブしたんだ。
その時に、勇気を出しておいちゃんに自分の気持ちを伝えたよ。
『好き』
この言葉を言うのが精一杯だった。
おいちゃんはそんな私の頭を撫でてにっこりした。
この日から私達は正式に付き合うことに。
私が15歳の12月15日の事だった。
すごく愛しくて、胸が苦しくて。1分でも1秒でもおいちゃんと居たくて。
毎日電話して、週末は泊まりに来てくれて。本当に幸せだったな。
私は母と住んでいたけれど、再婚すると言うことで、父が一人でかわいそうだからって、父のところに行ったんだよね。
母はそれが気に入らず、それから疎遠に。
父は私が中二の頃から、転勤で栃木県の益子に行っていの。
だから、休みの日に帰ってきてたんだけど、それまでは私一人で生活してたね。
料理は小学一年の頃からしていたので、何の苦もなかった。
それに中学の頃は家庭部っていう部活をしていたから、料理、裁縫、お茶も出来たんだよね。
今思えば、とっても素敵な部活でした。
この部活で、女子力を身に付けたかも(笑っ)
幼少時代は、とても寂しい思いをして来たの。
幼稚園の時に母が副甲状腺の病気になってしまい、長い間入院してたから、父方の実家に預けられていたの。
それが私はとっても嫌だった。
父の実家は、兄夫婦と、子供が3人、そしておばあちゃん。
おばあちゃんも私には良くしてくれなかった。
おばさんはもっと。
私はここに居場所はなかった…
毎日毎日、泣いて過ごした。
ある日、休みで父が来たので、私は家に帰ることに。
これなら一人で家にいた方がいいと思ったの。
小さい頃の記憶は殆どない。
ただこの事だけは覚えていた。
人は嫌な記憶は忘れるように出来ているって聞いたことがあったけど、そのせいなのかな?
母が帰ってきてからは、夫婦仲が悪く母は暴力を振るわれるように。
それで、両親は私が小学五年の時に離婚した。
だから、暖かい家庭というのは、私の中では覚えがない…
だからなのかな、すごくおいちゃんを求めてしまうのは。
おいちゃんはなんでも私の事を一番で考えてくれる。
恋人でもあったけど、親代わりでもあったんだろうね。
私は英語科に行きたかったけど、おいちゃんの家と逆方向にあったから、おいちゃんの家に近い方の学校に行くことにした。
県内初の総合学科の高校にしたの。
上位で高校には入って、楽しい高校生活を…