私は過去に、JICA事業である青年海外協力隊に参加し、
畜産系技術者としてフィリピン農業省に赴任していました。
このブログで、その頃の話をすることはほぼ無いのですが…。
丸2年間、日本の土を踏むことなく現地で活動していた訳ですが、
先日メールボックス内の古いメールの整理をしていたら、
私の活動を引き継いでくれた別の島で活動する後輩隊員へ、
私が現地での活動を終え日本へ帰国する前に宛てたメールが出てきました
ざっくり言うと、私は現地でウシのお灸(家畜灸療法)
を伝える活動をしていたのですが、
じゃあ日本と同じようにやってみよう!と出来れば
それはそれは何ら難しいことは無い訳で…。
動物の背中で草を燃やすなんて何事だ!?
家畜が死んだらどう責任を取るんだ!?
ってか、煙が出てるけれど白魔術か…?
と、最初は全くもって受け入れられなかったんですね
本当に…Dreams come tureの♪何度でも という歌の歌詞そのまんま!
しかも、もぐさの原料となるヨモギが無い!
そして、その土台となる味噌も無い!(日本では味噌を用います)
無い無い無い!の無いものだらけの途上国で、
家畜の糞を始め、代替物となる野草を30種類位試す傍ら、
野や林やジャングルやら?イグアナとヘビばかり出てくる中で
ひたすらヨモギを探しまくり…と、かなり手こずったのです
でもまぁ、何とか形に持っていった訳ですが、
その当時のことを思い出させる内容のメールだったのと、
今の自分に、もう一度あの時の気持ちを奮い立たせたく、
今回そのメールの一部をここに残しておきたいと思います。
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先日、草ボーボーだった私のヨモギガーデンをきれいに整備しました。
そしてさらにその隣にもう一畝新しく作ったので、
またヨモギを植える予定です。
思えば私の活動の後半は、
ヨモギたちとどう係わりを持つかで占められていた気がします。
初めてヨモギを見つけて、思わず泣いてしまったこと。
まとまった量のヨモギを発見して、初めてモグサボールを作ったこと。
↑のヨモギが雨季で全滅して途方に暮れたこと。
上司やOJTと共に、やっとヨモギの栽培にこぎつけられたこと。
↑のヨモギがすぐさま9割方枯れて、裏切られた気分になったこと。
その後無事に、残った一部の根からスクスクと成長してくれていること。
日本にいた頃なんて、ヨモギのヨの字も考えることもなく
ヨモギ餅すら食べたことがないくらい縁もなく生活してきたのに、
今では彼らのことばかりを考えています。
コレって、恋でしょうか…(笑)?
本当にヨモギに泣かされ、また笑顔をもらった日々でした。
いずれこのお庭は、フィリピン人の手で管理していくことになりますが、
私の帰国後には、活用されることなく荒地と化するかも知れません。
でももしかしたら、現状維持をしてくれるかも知れません。
またもしかしたら、今以上に立派なお庭になるかも知れません。
そんな“もしかしたら”という思いに支えられながら、
私はこの活動の中で、さまざまなスタートを切るに至りました。
このお庭から、お灸の歴史が始まっていってくれたら嬉しいです。
私はいなくなるけれど、今後職場に来ることがあったら
ぜひ彼らを見てやってください。
何なら葉っぱを摘んでいって、使ってやってください。
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このメールを書いた頃、私は今後来る日本社会での荒波に、
ただ漠然とした不安と少しの期待を寄せていました。
協力隊員の2年間は、語り尽くせぬ想いがたくさんあります。
今よりずっと若くて未熟な自分ですが、
今の自分にもう一度問いかけるたくさんのヒントが詰まったメールでした。
努力なくして結果無し。
夢中になれるものに、もっとずっとワクワクしたいです
先日、永田町で現場を終えた後、お天気も良かったので
東京ガーデンテラス紀尾井町周辺から更にぐるっと散歩しながら
目的地まで歩いてみました
各所に桜の名所があり、蕾が今か今かと膨らんでいました。
元々お散歩好きですが、去年は知らないうちに色んなものに疲れ、
想定外の現実にイライラし、その余裕すらなく塞ぎ込んでいました
今年の春は、紫外線を気にしつつ…
もっと春を見つけに外へ出ていこうと、
今とても気持ちが軽く調子が良いです
だから、唐揚げを10個食べました
12,000歩以上歩いたし!という言い訳の鎧を着て←おいっ!
やはり、唐揚げマウンテンでワクワクしたい!