戦争記念日と国に尽くした人たちへの感謝 

11月11日は旧大英帝国の国々では第一次大戦の終戦記念日としてポピーを付けて、従軍した兵士たちを追悼する日だ。この終戦記念日はリメンバランスデイ(ほぼ記念日の直訳)と呼ばれており、カナダでは誰もが知っている記念日である。

この日はカナダ国内で従軍した軍人や軍属が記念式典に最礼装で参加するため、お国柄が出る日だ。米国とは違い、旧大英帝国の面影を見ることができる。米国の戦争記念日はメモリアルデイ。

 

スコットランド式の正装(手前)と英国近衛兵の正装をしている首都オタワのカナダ王立軍楽隊のメンバー(奥)

 

大英帝国は帝国という名前の通り、一つの国ではなかった。現在も英国連合王国というように英国は一つの国の中でも幾つかの小王国が合わさることでUnited Kingdamとなっているが、以前は世界各地に領土を持ったいわゆるブリタニア帝国(英国を擬人化した女神)を形成していた。因みにカナダは王室の正式名称では形式上現在も王国の(Dominion of Canada)カナダ自治領で立憲君主制カナダ王国と意訳できる。カナダの王はもちろん英国と同じチャールズ国王である。ここにカナダの伝統文化と米国との違いが現れている。厳密には米国独立戦争というのはカナダ自治領からの独立に近い。よって1200年の歴史を持つ英国王室にルーツを持つカナダの象徴的な日でもあると言えるだろう。米国は独立してから247年しか経っていない。言うなればカナダは分家でアメリカは家出した末っ子だ。またこの日には英国の国旗、カナダの国旗が並列に掲揚されその先祖の慰霊を行う。

 

国を好きである事は歴史を知りその成り立ちを尊重する心

カナダに住んで10年。カナダ人が当たり前のようにカナダ国旗を掲揚し、子供達が小旗を持ち建国記念の日にはカナダの国旗行列をするのを毎年みてきた。可愛らしく、そこには日本の街宣右翼の様なやかましさがない。心からカナダに生まれたりカナダに移住してカナダ人になった事を自認して愉快に旗をはためかす子供達である。カナダ🇨🇦の国旗は多くの移民の統合の印であってそれに忠誠を誓う様なことはない。王立カナダ軍に入隊すれば忠誠を誓うのは王室だ。米国は🇺🇸国旗に忠誠を誓う。クリスチャン文化の名の下にある自由権というイデオロギーが統合の印であるからだ。

 

ちなみにカナダの国旗も年を追うごとに変わっており、元々はユニオンジャックとフランス王国旗が地域ごとに共存していた。もちろん戦争もしていた。フレンチの象徴のシンボルはFleur-de-lis(ユリの花)だ。現在のフランスは革命により民衆が王家より略奪した国であるので、形式上はカナダのほうが本来のフランスに近いと言えるだろう。そのため現在も旧フランスの領土のクベック州ではユリの花とロイヤルブルー(旧王室の色)が州旗になっている。

 

1965年まではカナダは英国のユニオンジャックを左上にシールドと呼ばれる王族の家紋を集めた盾が右側と言うニュージーランド🇳🇿やオーストラリア🇦🇺そしてハワイ州のような旗だった。

 

色々な国旗の草案が出され、結果的に現在のメープルリーフ(カエデの葉)の旗で決着した。

なお私の住むマニトバ州旗は依然英国式の旗を用いている。旗を変えようと言う左巻きの勢力があったが難なく却下された。

 

日本の卑日文化の是正が政府が最も注力すべき事だ

日本では日章旗を掲げる事すら憚れるような風潮がある。子供達に小旗を持たせて日の丸行進なぞしたら大変な騒ぎになってしまう。日本の国民は私も含め日の丸と小旗を見ればすぐに葡萄色の客車を背に〇〇君出征記念と言う襷をかけた兵隊と万歳三唱を彷彿とさせる。すなわち国民の象徴の国旗は敗戦とその苦悩と同じ事である様に完全に刷り込まれている。(テレビ媒体による非国粋教育洗脳)私はカナダに移住してからこの洗脳から解けるのに数年かかった。当地の異文化イベントでは各祖国の国旗を掲揚することが求められるので私は頻繁に日の丸を掲揚している。

 

またもう一つ重大な原因は恐らく日本が敗戦してから1949年(沖縄では1970年)まで日章旗の掲揚は米国指揮下の法律で禁止されており、違反者は即座に逮捕禁固刑という重い刑が科された事があげられるだろう。事実、日の丸を掲揚し逮捕された人達が記録に残る。日本で、日本人の心である日章旗を上げることが犯罪だったのだ。それでは掲げる事に違和感を覚えるはずである。ちなみに占領下のこの6年間は日本という国は一度消滅しており、海洋船舶では暫定的な日本船の識別章としてフィリピン🇵🇭の様な旗が用いられた。不甲斐ないとしか言いようがない。この頃の話は歴史教育では殆ど飛ばされており、また日本語のインターネット上のフォーラムではあたかも日本は継続国家の様に語られているが、英文のフォーラムでは一度消滅していると言うのが事実として語られている。意図的に日本人が気づかない様に事実を隠蔽している様に感じる。また日本の国の為に戦争を闘った先輩方の努力と苦悩そして悔しさが歴史の陰に落とされているのだ。

 

この頃の、マッカーサー米国極東最高司令官という日本に痛烈な恨みと時代相応な有色人種差別感情を持った米軍人が日本の国体を預かり、傀儡化させた暫定政府を1から100まで指示を出して憲法・教育・日本精神すべてを米国の田舎出身の米国人からの観点で改正した。この6年間で行われた日本人の弱体化と非武人化政策で日本人の多くが二度と白人にキバを向けぬように抜ける歯をできるだけ抜歯された。愛国や祖国愛への恥辱心の植え付け、古流武術の解散と禁止(現代武道の発生)、文化伝統の代替と西洋優等主義の植え付けなどが良い例である。米国人が「なぜ日本人は日本を大切にしないんだ?お前らには誇りはないのか」などと聞いてくる事が往々にしてある、戦後米人が犯した政策を何も知らないのだ。しかしこの発言には毎度頭に来るが色々落ち着いて何が起きたのかを説明している。私は戦争を経験した祖父母や曾祖父母世代の最後の孫世代として、米国人には特にしっかりと伝えるべきと思うのだ。

 

米国が犯した日本弱体化の功罪

米国の占領政策に有効でない又は反抗する可能性のある全ての財閥解散、大企業解散、豪農解散、伝統的な名士の公職追放、相続税、贈与税の異常な重税化改革など、ありとあらゆる方法で日本人の財力と文化力の弱体化を行った。この時日本の多くの豪農や旧士族はその勢力を大幅に削られ、江戸期から敗戦まで隆盛を期し、國體保持に支援を尽くした旧庄屋家や土地持ち豪農、名士の多くが没落し一家離散状態になり、経済の根幹を失った地方から上京し出稼ぎする者が頻出し東京一極集中を招いた。(私の地元の方でいつもお世話になっている和裁の先生で美智子妃殿下のお着物も御用納品した方も同じように茨城から上野駅へ、そのまま三越に勤めたという。やはり出身は士族である)

 

これは農地改正の副作用であろうが米国の政策側としては日本弱体化が余りにもうまく行って嬉しい悲鳴であっただろう。現在も先祖の土地や建物を維持している家は、自家農を徹底して、農地改正で失ったり、ご破算にされてしまった貸し倒れ等を何とか補填したり、買い戻したりして挽回してきたまさに努力家である。

 

地方の活性化は地方交付税より相続・贈与税の特例免除しかない

こう言った資本主義と逆行する経済政策は米国の社会主義経済学者の招聘で行われた。米国内では成し得なかった社会民主主義経済の導入に米国人経済学者達は大いに楽しんだことだろう。農地改正などは米国の文化からはかけ離れた資本主義の崩壊政策であり、統制主義の真骨頂であるが、米国は江戸時代より日本式資本主義の基礎に英国式の機械化を導入して巨大な富と軍力をつけた日本を恐れていた。その文化を崩壊させる為には社会主義化が最も効率的だったのだ。この分野は経営学では初歩の教養として大学では教えられた。詳しくは故壽永欣三郎先生の図書にある。

 

これだけの事をされ、この前亡くなった英国首相のマーガレットサッチャーに言わせれば共産主義の様な相続税を課して、三代目までには繰り越される資産の母体を帳消しにする要するに信用もできないような政治家に上納されてしまうのだ。こんな国が経済国として長続きするはずがないの。これは経済学者や経営学者なら誰でも分かる事である。富というのは長年に続く利益の繰越から成るものであって、それを毎度世代交代のたびに大幅に減らす様では長続きしない。それを言ってしまうと煙たがる政府と財務省があり助成金対象から外される恐怖に駆られるわけだ。もちろん助成金は税金が資本であり、文科省の認可と財務省の承認がいるから当然である。

 

相続税の話をすると出てくる外国でもあると言うマヤカシとコモンウェルスと言う発想

相続税率だけの単純比較で「米国にもある」と言うとんでもない人もいるが、まず米国は基礎控除が2百万ドル(3億円)である。日本は3600万円だ。話にならない。そしてカナダは贈与税も相続税もない。私の息子達はカナダの全財産をそのまま引き継いでいけるのだ。ちなみに日本の家族は日本の相続税の対象になるそうだ。

 

そもそもこの英国的な発想はコモンウェルスに良く現れている、慣例の富とも直訳できるこの考え方はカナダの相続税贈与税の非課税に現れていると考えられる。地主や城を持つ文化の国に贈与税なんぞあれば国体が持つはずがない。カナダにはその古い慣習がまだ残っている。カナダの母屋の英国では相続税が日本とほぼ同率で課されており、無論経済は貧相である。

 

日本が相続税を廃止することは無いと思うが、地方再生等口先ばかりのまやかしを唱えるくらいならば何千坪という先祖伝来の土地を何とか守ってきた家族を優遇しないことには伝統(祭りや地場産業)も残らなければ人も残らない。ある意味ではこの相続税を回避する為に地方では地価が意図的に低くなっているような気もする。何しろ、私は日本の家族主義を崩壊させるために導入された相続税は日本の伝統を守るうえでの諸悪の根源であると思っている。

 

今の日本に必要なことはサッチャー主義による日本の伝統主義の復古

サッチャーはレイバー党(労働党という名の社会主義者)の議員に対してこう言い放った。

 

「(レイバー党の皆さんは、)貧乏人はより貧乏になり、社会福祉へ貢献した富裕層が富裕層で無くなる事望んでおられるのですね。このような思想では国家の富を作り出すことは全くできず、この富を背景に可能となる充実した社会福祉の構築など不可能だ。これがレイバー等の政策だ」

 

今の日本の国会ですべての国会議員に喝を入れていただきたいと思う言葉である。日本の伝統の堅持には日本国が豊かになる必要があり、そのためにはより多くの富が作り出される必要がある。その富がどの様に日本の伝統主義では貧しい人々に配分されていたか、郷土史に残る名士への感謝と、一般通説の歴史教育の越後屋の嘘を比較すればこれは一目瞭然であり、私は郷土史に残る名士の社会貢献というのは確固たる史実であると考えている。お金を持つことを「悪き事」という概念にしたのはこれも戦後政策で日本人が富を蓄えないように仕向けた弱体化政策の一環なのではないかと私は考えている。江戸時代もどの時代も貧しい民衆の先頭に立ち地域貢献をしたのは酒蔵や豪農などの家だった事が忘れ去られている。今の米国に洗脳された私利私欲のみに目が眩んでいる大企業の経営者達にこの様な徳を積むことはもう出来ないのかもしれない。