先日、安心できる場所で気の許せる仲間に近況を話していたときに
パッと出てきた言葉。
アドバイスは添加物だ!
いつもね、
聞かれたからとか
ついついとか
そんな風にしてアドバイスしちゃうわたし。
身内になればなるほど
日常的にしてたし、
こうしたらいいのになんてそーゆー視点で見てることがあったなぁと気付いたの。
意図を持たない
押し付けない
アドバイスはただそこに在る言葉になるように感じる。
でも、
相手を変えようとする
アドバイスはもう添加物や農薬や品種改良みたい。
この味のが一般ウケするから。
同じ形の人参なら調理しやすいし見栄えもいいから購入されやすいから。
匂いのきつくない納豆のが万人ウケするから。
そんな風に手を加えていく…
でも
自然の中にいると
みんな同じなんてないんだよなぁ。
木も同じ形なんてない。
ケンカしてる木もない。
近くに並んで立っていても木たちはそこにとても上手に共存してるの。
根もぶつかりそうになると相手の根の上や下を伸ばしていく。
人参も大根も自分の伸びたいようにむくむく大きくなったその味はとっても個性的で優しくて甘くて元気をくれる。
人間だって自然の中にあるひとつの種類にすぎない。
雨や晴れやくもりなどの自然な変化。
花が咲き、葉がしげり、葉を落とし、じっと根をはる。
根をはったあとに上に上に伸びていき花を咲かす。
人だって同じ。
良い時もあればどん底もある。
笑顔だったり、泣いたりする。
寝て起きる。
ポジティブだったり、ネガティブだったりする。
陣痛だって波のようにくる。
たくさんの揺らぎは
自然の一部だって教えてくれる。
(岩室智子さんの講座より)
なのに
ときに人は(わたしは)勘違いをする。
ただそこに置くようなアドバイスじゃなくて
たたいてこねて粘土をこねるみたいに
目の前の人を変えようとしてアドバイスをしちゃう。
それはただそこにいる相手には
ちょっと怖いことなんだなぁと
反対の立場になってガツンと体感した。
思うようにならなくて次はどんな添加物を使おうかとか
次はどうこねくり回そうかとか
そんな風に考えてる人の気配や顔はちょっと怖い。
動物の本能はね、
身の危険を感じると
①闘う
②立ちすくんで動けない
③逃げる
の3パターンなんだって!
(これまた岩室智子さんの講座より)
分かりやすい。
闘えそうなら闘う。
何も言えなくなる。
どうにもならないと逃げる。
わたしは今あることで③の逃げたい気持ちを感じてる。
実際どうするかはまた考えるとして…
逃げたいくらい怖いんだなぁって
そのままの今の気持ちをそのまま抱きしめてみる。
1人じゃ苦しいと思ったから、夫に聞いてもらう。
そしたら
逃げたい気持ち以外にもやっと湧き出るまた別の気持ちもでてきて、わたしなりの小さな1歩を見つけられた。
そうやって繰り返していけたら
逃げたいことも
立ちすくむことも
闘いたくなることも
自分なりのやりたい方法で何かできそうと勇気になるんだろうなぁ。
安心安全であることで
どうしたいか見えてくる。
添加物なアドバイスをたくさんふりかけるんじゃなくて
安心安全な場所でいることを大切にしたい。
そしてアドバイスするなら
あけるかあけないか
受け取るか受け取らないかは
相手が選べるようなそっとそこに置くギフトのようなアドバイスができる人で在りたいな
いつも勇気をもらう…