小学1年生の長男。
この頃、週2日くらい帰ってきてからすぐ学校近くの公園まで遊びに行くの。

最初はどうやって遊んだらいいか分からなくてゲームをしていた子達もまきこんで
今はみんなでサッカーしたり、鬼ごっこしたり、ドッチボールしたり、ポコペンしたり、森で遊んだり…

今まで公園に来てなかった女の子も来るようになって多いと7.8人でごちゃ混ぜになって遊んでる。時々他学年も巻き込んで。

うまくいかない日もある。
遊びが決まらなかったり、
やりたいことができなかったり。
プイッとしてみたり、寄り添ってもらったり、寄り添ったり。

彼はスイミングと少林寺をやりたくて平日に習ってるんだけど
とうとうスイミングより遊びが勝ったみたいウインク
ちなみに少林寺も自分でやりたいと探してきて、日時もリサーチして、さらにはスポンサーも見つけてきた(笑)母は送り迎えのみ。

「遊びたいからスイミングは辞めたい。」
ってはっきりと伝えてくれた。
流れを知ってるわたしは
遊びの中で得た自信や学びは
他でどうやっても得られるものじゃないって思えて即オッケー。

でも夫はそれを目の当たりにしているわけじゃないからね。
長男からじっくり話をきいてた。

やいやい言われても
「どうして遊びたいじゃやめたらいけないの?」なんて言える長男の強さに感心する。
夫も根負けしてくれた。

遊びたいなら、待つ必要はない。
すぱっとはやめられないシステムだったけど、遊びは待ってくれないからね。
2年生になったらじゃない。
行きたいのは今。
来週からは週3日で公園に行くんだって!

すぱっと選ぶ。
見習いたいとこだ照れ照れ照れ

遊びたいからやめる!はい、おわり!
ってかっこいいわ…

次のができるようになったらにしよう…じゃないもんね。

しかも、彼が公園に行ってもまわりは行くかどうかわからないのに。

過去や未来ではなく今を生きてるなぁ…

以上、我が家の習い事事情でした!

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【数日経っての発見!】


これを受け入れられたのは

わたし自身がやりたいことを選択させてもらえているから。

わたしがこう思う、こうしたいを大切に聞いてくれる人が周りにいるから。


だから、すんなりとただそうなんだねって言えたのかなぁ…


この選択の仕方がいいとかダメとかじゃなく

ただこの選択をなんで受け入れられたんだろうって思うと

自分一人で生きていたら受け入れたかなぁと思う。


自分自身やたくさんの人にわたしを受け入れてもらって、認めてもらって、愛してもらったから、長男の選択も同じようにした。

そうやって思う。


その循環ってとても気持ちがいい。

ありがたいことだなぁ…