きっとわたしはこの映画を観るって決めたときから
家族に対して向き合いたかったのかもしれない。

この夏はたった一つ。

この映画の上映会をすることに情熱があった。
ご縁のなかでたまたまポンとうまれた流れだったの。

なにかするなんてわたしにはなかった。
いつだって参加者の立場だったし
それが相当だと思っていたし
わたしになにかする器はないと思っていたから。
失敗も非難も好奇の目もこわかった。

でもこのご縁は違った。

何度も何度も
「無理はしないで」
「大丈夫。うまくいく」
「できることを楽しんで」
これを受けとる。
一緒に“初めて”を体験する仲間ができて、
震えながら一緒にこの言葉を受け取った。

仲間ができたって
すべてが終わってやっと感じれた。

振り返ってみたら
勇気を振り絞って進んだことは
小さな小さな経験という1歩で
体も心も傷なんてなくて
ただの1歩だった。
でも確かに1歩進んだことは実感してる。

と、話がズレたアセアセ

映画を観て心に残ったのはね。
どの家族もいろいろある。
そんなのは外側からは分からない。
ステキにまぶしく見えたりするけど
内側ではいろいろいろいろいろいろある。
おんなじ家族なんてない。
でもどれもそれでいい。
どんな家族でもみんな主役で輝く瞬間はある。

そういう感想だったの、わたし。
今日シェア会で口にして改めて気付いた感想。

で、この映画。
観る人にとっても全然違う感想だった。
おもしろいのが何回も観たことがある人もいて
誰と観るかいつ観るかで違う感想になったり、違う部分が突き刺さるって言っていたの。

分かる気がする。

わたしはどんな家族でもオッケーって
わたし自身が自分に伝えたかったんだと思う。

もしかしたらずっと不安だったのかな。
今の家族ではなく
その前にわたしのうまれた家族に対して。
ねぇ、わたしのうまれた場所は正解だった?って。
わたしの1番最初に出会った家族はこのカタチで正解?って。
笑ってた日々ばかりじゃなかったから。
6人だったり、祖父母がいたり、大きいおばあちゃんがいたり…
ほんとうはあの時こう思ってたとか
今になって言えるような湧き出るそれぞれの真実もあったり…
だから自分だけのほほーーんと幸せになることをしちゃいけないとかそんな思いもあったのかな。
みんなの思いを浄化しなきゃとか。

あーー、ずっとお姉ちゃん役をやっていたかったのか(笑)

どんな家族でも大丈夫。
うまれた場所も
今の家族も
夫の実家と育む家族のカタチも
どれもそれで大丈夫。

だから
妹も弟たちも大丈夫。
もうあの時は終わったから大丈夫。

涙がでてくるな…
家族みんなを勝手に無理やり心配してたのかもね、わたし。
大切だからって。
でもそれって大きなお世話(笑)

あー(笑)
義母と同じ。
わたしたち似ている。
だから今回反応したんだな、わたし。

気付いたら義母に普通に電話してた。
義母との間に感じたものはもう流れていったみたい照れ
というか、もうあってもなくても
どっちでもいいや。

クローバークローバークローバー

この映画ね、
また秋が終わるくらいにきっと観れるよ。

次は誰と観よう…