ブログの更新のためにユウが入院するまでを思い出そうとすると、なぜか涙が出そうになって止めてしまっていた。


つらかったからなのか、今は当時より良くなったなぁという思いなのかはわからない。


なんだか胸がつまるのだ。


でもあの出来事があったから、今があると思う。


しっかり向き合ってみよう。


かなり長くなりますが…。




あの頃ユウはとにかく希死念慮が強かった。


どうやら先生とは『次に病院にくるまでは死なない』というような約束を、その都度していたらしい。


私はというと、それでも毎日死にたいというユウに対して、根気強く話すという方法をとっていた。


ユウは本当に暗くて自分なんかいなくてもいい、生きていても仕方がないなどと言っていた。


そんなユウに、私にとって子供たちにとってどれだけ大事な存在で、誰も代わりにはなれないのだという事を言っていたと思う。


毎晩、死なないと約束するまで話し続けた。


ユウが眠ったのを見てから自分も眠っていた。


チィが10ヵ月くらいでまだまだ授乳中だったけど、夜中に何度も目が覚めて、その度にちゃんといるかどうか確認したりしていた。


先生に『死にたいと口に出しているうちはいい。身辺整理をしだしたり、急にいなくなる人もいるから。』と言われていたからだ。


そして約束した次の日、また死にたいと言う。


それを止める、そんな日々が続いていた。




しばらくすると、ユウは自傷行為をするようになった。


もちろん必死に止めた。


泣いて話したと思う。


でもそれも約束する、また傷つける…の繰り返しだった。



ある日先生に『あんまり自傷行為に走るようなら、入院させます。』と言われた。


通院での薬の処方では良くなっていないようだし入院すれば強い薬を使う事も出来る…というような事だったと思う。


それに家では子供達もいてゆっくり休めないし、どうしても仕事の事を考えてしまうらしい。


何度か会社にも行ったが、何も出来なくて帰ってきていた。


ユウにも言っていたらしいが、うつの人には大事なことの決定をまかせてはいけないというお決まりがあるのだ。


このままだと強制もありうると。


でももうはっきり言って、入院と言われた事が頭の中をぐるぐるまわって、そのときの事はあまり覚えていない。


ただ、考えさせて下さいってすぐに言った。


ユウは『ちゃんと治せるなら入院したい。』と言っていたが、私は入院→病院に丸投げ→見捨てるみたいな感じがして、どうしても嫌だった。


今思えば、一番苦しんでいたのはユウなんだから、入院して治療したいという前向きな思いをすぐ応援すればよかったと思う。


そんな柔軟な考えも出来ないくらい、私も追い詰められていたみたい。


本当は、毎日繰り返される話し合いに希望を見出せないでいた。


昨日は約束したのにまた?…みたいな。




少し疲れたなぁ、でも諦めないと思っていたある日、イチに『ママずっと怖い顔してる。』と言われた。


もう本当にハッと目が覚めるような気持ちだった。


私は意地になって何をしてるんだろう、子供達をしっかり見ていなかったんじゃないか、そう思うと同時に涙があふれて久しぶりに大泣きした。




そしてユウに入院してもらったほうがいいんだと思った矢先の事。


ユウが一人になる事は滅多にないが、イチの習い事にチィも連れて行ったので、ユウが30~40分一人で留守番をしていた。


家に帰ると、なんか様子がおかしい事に気づいた。


まさかと思って薬をチェックし泣きそうになるのをこらえて聞くと、ぐっすり眠りたくて…ともらった眠剤を一気に飲んだ事を言った


幸いそんなに強い薬でもなく、量もまだ少なかったため大事には至らなかったが、はっきりと決断した。


私にユウの死にたい気持ちは止められない、もし目を離してる間に取り返しのつかない事が起きたら…。


それにイチに言われた事も深く心に刺さっていた。


ユウに、やっぱり入院しようと言って泣いてしまった。




そして病院の日、先生に『入院したいのでよろしくお願いします。』と言った。


先生は『それがいいと思いますよ。いろんな薬もあるし、まずはゆっくり休みましょう。』と言ってくれた。


ところが予定していたT病院に空きがなく、待つと何日かかるかわからないと言われた。


でもユウも限界にきていたため(死にたい、眠れない、ご飯食べられない等)、当初の予定とは違うけどY病院にまず行ってみることになった。


まずY病院に入院して、空きが出たら転院するという形にしたのだ


でもY病院の先生は『転院するのはあまり良いとは言えない。うつの人は環境が変わると悪化する事もあるし医者によって診療方針も違う。一旦治療を始めたら最後までした方がいい。』と言った。


私もその意見に賛成だった。


でもユウは、最初の病院が空いたら転院するという姿勢を崩さなかった。


そしてとりあえずそのまま任意入院という形で、Y病院への入院が決まった。


よろしくお願いしますと頭を下げた時、涙が出た。






という訳で、本当に長くなりましたあせる


しかももうすぐ軽く3時間もたっちゃうショック!


まとめるのヘタ…そして暗いなぁ汗


もう寝逃げだ~ぐぅぐぅ



うつ病になってから、ユウは本当に変わったと思う。


本人の頭の中では何が起こってるんだろう。


ユウは通院するようになって薬を飲み始めたけど、うつの薬って効き始めるまでに日数がかかるらしい。


副作用もあったけど、本当にみるみる暗くなっていったよ。




当たり前のことが出来なくなる…って、本当につらいことだと思う。


朝起きられない、お風呂に入れない、ご飯が食べられない、夜眠れない…とか本当に普通のこと。


思考もとっっっっっっっても暗い。


今まで出来ていたことが出来なくなって、さらに落ち込むっていう負のスパイラルだ。


特にユウは、希死念慮→死にたいという願望がとっても強かった。



あの当時、私は『私が何とかしなきゃ!!』とかもう無意識に考えていたと思う。


K先生には『あなたは今のままでいい。そのままでいて。あなたが治そうと頑張ると、あなたまでうつになったら大変でしょう。』とか言われてたのに。


なんか立ち向かっていこうとしちゃったんだよなぁ。


どっしりかまえていれば良かったのに。


うつは容赦なくユウを飲み込んでいった…というか、嵐のように周りをも巻き込んでいったって方が正しいかな。


希死念慮が消えないユウとの生活は、私の想像のはるか上をいっていたんだ。
















『死にたい…。』


そう言ったユウを、とりあえず説得(?)した。



次の日ユウは『病院に通いたい。』と言った。


自分の心境の変化に危機感を持っていたらしく、何件か調べていたらしい。


ユウが自分からそう言ってくれたのは、とてもいい事だったと思う。


さっそく数件に電話してみたが、どこも予約で1ヶ月待ちなんてざらだった。


予約しようかとも思ったが、ユウは待てる状態じゃなかった。


そして1件、すぐいいですよと言ってもらえたので、さっそく行ってみた。



いろいろ検査をしたり診察した結果、『うつ病ですね。』と言われた。


正直、何を言ってるかわからなかった。


聞いたことあるけど…くらいの知識しかなかったから。


それからはユウの診察ももちろんだけど、私も対処の仕方など相談にのってもらった。



K先生にはいろいろ言われたなぁ。


あなたが治そうとしないでとか、明るい肝っ玉母ちゃんみたいにしてとか…。


ていうか元々ネガティブ思考なのは私の方で、つい『肝っ玉母ちゃんなんて、そんなキャラじゃないから無理です。』って涙ぐんだ記憶がある汗


なんか誰にも相談できないし、家では泣いてる場合じゃないし…先生に相談するだけで涙が出る日もあったな。




それから通院するようになったんだけど、当然ながら薬を飲み始めたからってすぐに治る病気でもなく、うつ病治療に対して手探り状態の日々が始まった。