私の中身が空っぽなら
中に何を入れるだろう
それはきっと私の好きなもの
綺麗な宝石
好きなものを自分の中に入れて
触れないよう、壊さないよう、見続けて
時が経てばそれは違うものに変わっていて
そんなことを繰り返す人生ではダメなのかな
自分の中に誰かを入れることしかできなかった私にとって
自分自身を見せてくれる鏡の存在は、確かに唯一だったんだろうな
知りたく無いことの方が多かった
苛立つことの方が多かった
泣きたいことの方が多かった
辛いことの方が多かった
それでもずっと心に残っているのは
鏡だったからなのだろうか
自分自身だったからなのだろうか
そう、思い込んでいるだけなんじゃ無いだろうか
私が見ていたのは本当に鏡だった?
自分自身だった?
見ていたのは相手の言う私であって、私自身じゃなかったのでは?
最近そう思う
自分が思う自分
人が思う私
果たして他人が本当の私を見ることができるのだろうか
人の目に映るのは人の目に映る私でしか無いはずなのに
私はそれを私自身と思い込んでいただけだったのかな とか
私の中身が空っぽなら
彼が見ていた私は
私の中に居る彼自身なんだろう
私が中身に触れることの無いショーケースなら
私は彼に触れていなかったんだろう
私が彼自身を、私を通して見せていたに過ぎなくて
鏡なんかじゃなかったんじゃないのかな
ふと、消えてしまった彼は
彼自身と向き合うことに耐えられなくなって逃げた?
はたまたあの時の宣言通り、変われない私のせいで失ってしまったのか
何事も人の所為にするのは良く無いよ
私が好きな人のために変わりたいと願って
何度もそう願っては逃げて
今度こそ逃げるなってそう言ってくれてたはずなのに
私がダメだったら彼を失うだなんて
どう言う理屈なんだよ
彼は私に彼自身の存在を賭けた
そんなのカッコつけただけの逃げじゃないか
これは誤認識なんだろうか
私の正当化だろうか
答えをくれる彼がいない今、正当化する事でしかカタをつけられない訳で
随分都合の良いことだなぁ
人が考えることって難しくてわからないなぁ
分からないままのことって増えていくものなんだなぁ
答えは探さない方がいいんだろうか