認知症の母との日々―29歳で始まった介護録―

認知症の母との日々―29歳で始まった介護録―

母が認知症と診断されたとき
俺は29歳でした

孤立無援
悪戦苦闘
七転八倒の
介護経験を綴ります

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認知症が進行していくにつれ

 

症状のひとつとして

 

誰かにお金を盗られたと被害妄想に陥る

 

ケースがあるそうです

 

 

介護だけでも手一杯なのに

 

お前が盗ったんじゃないか!?などと

 

疑われたら

 

悲しいですし

 

心が折れますよね…

 

 

 

なぜこういう悲しい被害妄想が起きるのかを

 

ずっと考えていました

 

 

以下に書くことは

 

あくまで自論ですが

 

いままさに疑われて困っている介護者の方に

 

少しでも響くものがあればいいなと思います

 

 

俺が産まれてものごころついたころ

 

1990年代は

 

銀行に給料を預けること

 

ATMでお金を振り込んだり引き出したりすること

 

がすでに当たり前の世界でした

 

 

通帳に記された数字がお金であり

 

使えば数字が減るし

 

給料が振り込まれれば数字が増える

 

その感覚が当たり前で育ってきました

 

 

でも

 

銀行に給料が振り込まれることは

 

ずっと昔から当たり前だったのでしょうか

 

ましてやATMの機械なんてハイテクなもの

 

なんとなく新しそうな気がする・・・

 

そう思い調べてみました

 

 

 

 

 

この記事によると

 

ATMの前身であるキャッシュディスペンサー(CD)が

イギリスで発明されたのは1965年のこと

 

そして

日本に導入されたのは1969年12月

だそうです

 

また

高度経済成長時代、企業への貸出ニーズが高まり、

銀行は広く預金を集める必要に迫られていました。

そこで、給与振り込みサービスを導入したのです。

それまで、給与は企業が社員に現金で渡していました。

社員は、受け取った給与から生活費などを支出して、

残ったお金を銀行に預けます。

との記述が。

 

 

ここから推測すると

 

高度経済成長以前から

 

金銭管理を担ってきた方は

 

現金で給与を渡されるため

 

基本的に

 

お金は現金という形で家でやりくりするもの

(余ったら銀行に預ける)

 

という生活が当たり前だったのではないか

 

ということです。

 

 

 

認知機能が低下したとき

 

銀行、通帳、口座などの概念も分からなくなって

 

給与振込や口座振替など新しい技術から忘れていって

 

“お金は現金という形で家でやりくり”

 

という昔の記憶や習慣だけが

 

その人の中に残った場合

 

何が起きるか

 

 

タンスの隅に隠しておいた(はずの)現金がない!

 

家に現金がない!

 

これでは生活していけない!

 

誰かが盗んだのではないか…

 

という思考回路になるのではないか

 

俺はそう思うのです

 

 

 

被害妄想に陥ってしまった認知症の方に

 

どう対応したらいいか

 

その正解は分かりません

 

 

ただ

 

介護をする側が

 

この人が被害妄想に陥っているのは

 

現金で生活していた頃の記憶が残っていて

 

その現金がないことを不安に思っているのが原因だ

 

と考えれば

 

すこし楽になるのではないかと

 

自分を責めたり相手を憎んだりする気持ちが

 

すこし和らぐのではないかと思います

 

 

 

今介護をされている方の中には

 

高度経済成長期を

 

体感した方も多くいらっしゃることと思います

 

 

自分には想像するしかできない世界ですが

 

もしこの記事を読んでくださって

 

思うところがありましたら

 

コメントいただけたら幸いです

 

ひとつひとつ拝読させていただきます

 

 

この自論がもし正しいとするならば

 

少なくとも俺の世代以降では

 

認知症になったとき

 

現金が手元にないからといって

 

金が盗まれたという被害妄想はなくなるはずです

 

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ご覧いただきありがとうございます

 

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山口祐吾