雑草 
 
お彼岸のお墓参りに昨日行ってきました。
お墓参りで一番骨が折れるのが、雑草取り。

今年は墓石の真ん前に、
ピンクの花を咲かせた草が茂っていました。

急激に春めいてきたので、
開いたばかりというような花で、
抜くのをためらっていると、
「そんなもの咲かせておいても蔓延って仕方がないから、
抜いてしまいなさい」
と母の無情なお言葉。

そこで、根こそぎ持って帰ってきて、
ジャムの空き瓶に差してみました。
花が付きすぎて切り落とした短い小菊といっしょに差したら、
「野の花」という雰囲気になり、
なんともかわいらしくて、写真を撮りました(あんまりうまく撮れなかったけど)。

花の名前はわかりませんが、
好き勝手にあっちこっちに伸びていて、
おてんばな女の子のようです。

野生の草花は、水に活けると、
すぐに萎れてしまうものですが、
根っこごと水に浸かっているせいか、
丸一日経っても、きれいに咲いています。

中国にいた頃は、どこもかしこもゴミが落ちていて、
雑草に咲く花のことなんか顧みている情緒なんぞありませんでしたが、
日本は周囲がきれいなせいか、
こんな小さな命にも目が行くんですね。
新しい発見でした。

追記:
雑草の名前を調べてみたところ、
ホトケノザでした。
確かに、葉っぱが茎を取り巻くように丸くついていて、
その上にウサギを逆さまにしたような花が咲いています。
ちょうど台座の上に仏様がいらっしゃるように見えます。
ちなみに春の七草のホトケノザとは別物で、
そちらは、コオニタビラコというそうです。
難しくて覚えられそうにない名前です。
 鳥居 
  
 
ちょっと罰当たりな気もしたんだけど、
面白い眺めだなぁ、と思って。

静岡市某所にて。

神社付近の商店の駐車場から見た鳥居。

鳥居って、なんで鳥居っていうんだろ?
知りたい。
チュニジアのテロ事件の報道に押されて、
扱いが小さくなってしまったようですが、
中国の一大観光地「桂林」で、
案の定、落石死亡事故がありました。

私は中国在住中に、中国各地をあちこち旅し、
いわゆる『奇岩』を売りにした観光地にも行ってきましたが、
事故がないことが不思議なくらいだと思いながら、
命がけの罰ゲームのように、
岩の下を通り抜けてきました。

奇岩だけではありません。
何千年も前の古墳の内部や、
古い都市には必ず残っている塔や楼、
未修復の万里の長城など、
生きて帰って来られたことは、
単に私の運が良かっただけなんだと、
思ったりします。

写真は、昆明にある「石林」です。
昆明石林 
 
逆光でシルエットだけなのでわかりにくいですが、
この下を通り抜けました。
肝を冷やしました。
昆明石林2 
 
日本も気をつけなくちゃいけませんね。
上からの落下物もそうですが、
都市部は地下鉄やらなにやらで、
地下も穴ぼこだらけで、
いつ陥没するか、ひやひやです。

ちょっとおまけ
バナナ 
 こんなアンバランスなバナナを買ったので、
ちょっと思い出したんですが、
石林に行った日、
元陽という所の露店でバナナを買いました。
元陽 
 モンキーバナナというんでしょうか。
どれも小さなバナナなんです。
木に生っている状態で熟しているので、
とっても甘くておいしいのですが、
一日しかもたないんです。
翌日は、もう真っ黒でぐじゅぐじゅ…。
地のものはそこでしか食べられないという貴重な体験をしました。

 
  
  


「死のうとしたこともあった」
という人の気持ちが、
心に沁みて沁みて、
そこから這い上がってきた人たちの底知れぬ強さが、
私にはたまらなく切なくて、いとおしいのです。

生きにくさを感じている日本中の人たちへ。
一人じゃないと感じることが明日への勇気を生むなら、
みんなでもう一度手をつなぎましょう。

「平等」なんて口先だけの決め事だと、
決して思わないで。
苦しみに堪えている少数派の人たちが、
「日本は本当に平等な国だ」
と思ってこそ、私たちは本当の日本人になれると私は信じています。

私の暮らしたかの国では、
法の下の平等が約束されていませんでした。
だからこそ、弱者に対する思いやりこそが、
私たち日本人に許された自由なのだと思います。

がんばろう、日本!