DRAWERSで一緒にステージに立ってきたベーシストの魔湖(まこ)が2013年6月27日永眠致しました。
以下の文は魔湖のパーマネントバンドでもあるヒューマンロストのHPより引用させて頂いた文です。
ヒューマンロストのボーカル/ベースとして
結成以来多くの人に愛されそして人を愛し続けた
makoが2013年6月27日 夜、肺がんのため
千葉県市原市内の自宅で永眠いたしました。
44歳という早すぎる天国への旅立ちでした。
葬儀はご遺族の意向により近親者のみで執り行われます。
makoを愛する方々とのお別れは改めて音楽葬の形で
とり行いたいと考えております。
makoを愛していただき本当にありがとうございました。
ヒューマンロストHPより
こちらはDRAWERS 魔太朗からの引用文です。
悲しくて寂しくて仕方がありません。
それでも前を向いて生きて行く事を魔湖に教えられました。
正直、昨日のライブは辛かった。
でも、魔湖に教えられた事で頑張れた気がします。
DRAWERSのメンバー&スタッフも同じ思いでしょう。
昨日のライブ後すぐに会いに行き暫くのお別れとありがとうを伝える事が出来てよかった。
彼女は優しい顔で微笑みながら眠ってました。
長い長い闘病から解放され
『頑張った。お疲れ様。もう頑張らなくていいよ、疲れただろうからゆっくり休んでね』
そんな思いです。
DRAWERSと共に魔湖を愛して下さった皆様に本当に感謝致します。
ありがとう!魔湖!
ちょっとだけバイバイ。
DRAWERS 魔太朗
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一ヶ月が経ち、自分もやっと少しづつ実感が湧いてちゃんと向き合って書けるようになったので。
マコちゃんとの初対面を思い出す。
第一印象から、最後までずっと「東京の私のお母さん」だった。
勿論、姉妹っていう方が歳とかもあってしっくりするのだけど、そういうんじゃあなくって、
私が早くに亡くした母にそっくりだったから。外見じゃなくて。
雰囲気や、
考え方や、
生き方や、
人としての器の大きさとか。
人に見返りを求めず、与えて与えて、いつも笑顔でいてくれて、
皆大好きだったから、皆が姉さん姉さんって慕っていて。
私の言葉が足らなくて、他の人に違う意味で話を取られた時もさりげなく影でフォローしてくれたり
初対面でマコちゃんプロデュースのメンバーに勧誘されたり(笑)
さりげない優しさに溢れている人だった。
いつも皆を気にして、皆が笑顔になれる方法を考えてくれてた。
マコちゃんが悔しいとか辛いと思うことがあっても、絶対周りを先にしてくれて。
病気が分かっても最後までみんなの心配ばっかりして、自分のことは後回しで。
中々そんな事出来る人はいないよ。
自分はいつもマコちゃんに元気をもらってばっかりで、優しくて、助けてもらってばっかりで。
最後のお別れはDRAWERS集団で会いに行って。
マコちゃんはやっぱりマコちゃんで。最後まで私達をずっと待っててくれた。
欲しいって言ってくれた、私が作った、持っていったネックレスを最後に着けてくれて。
皆で悲しむのはマコちゃんは嫌うから、ずっと笑い話をして。
最後に手を、
手を繋がせてもらった。
生き方が大好きだった。
考え方が大好きだった。
教えられてばっかりだった。
貴方のような人になりたいと思った。
そして、貴方のような人になると決めた。
笑顔が大好きなマコちゃんがいつまでも皆が悲しむのは嫌なのは分かっているから、
もう、泣かないよ。
私からも魔ーさんと同じこと言わせてください。
DRAWERSと共にマコちゃんを愛してくれたファンの皆さん、有り難うございます。
先に向こうでいつもの笑顔で待っててね。
大好きなお酒でも飲みながら。
そうしたらさ、私がそっち行ったらまた一緒に遅くまで延々といつもみたいに語ろう?
やっぱり呑みながら。
少しだけ、待っててね。
笑いながら見守っててね。
DRAWERSスタッフ ユヱ






