今回の大地震は驚かされました。
午前の診察時、待合室で意識が混濁し具合が悪くなった高齢の患者さんが現れました。看護師から、「待合で倒れた人がいるので至急見て欲しい」と連絡を受け、駆けつけました。待合室のソファーに寝かされていた高齢の男性患者さんは呼び掛けても反応がありませんでしたが、幸い自発呼吸は見られました。脈診すると、脈が触れたり触れなかったりで、血圧の変動が激しいものと考えられました。
脈が触れるときにはしっかりとした脈で、不整脈も見られませんでした。状態を聞くと、呼ばれて立ち上がったときに急に意識がなくなったとのことでした。泌尿器科で前立腺肥大の内服治療薬を投与されていたとのことでした。恐らくαブロッカーによる起立時低血圧と考え、皮膚もかさかさしていましたので、そのまま外来手術室に運び、点滴治療を行いました。すぐに意識は戻り、やがて血圧も安定し状態が落ち着きましたので、患者さんの様子を見ながら無事午前の外来診察を終えることができました。しばらく安静にして頂くように指示を出して、昼の手術のために歩いて5分ほど離れた第二眼科に向かいました。
第二眼科で数例の手術を終え、具合が悪くなった患者さんの確認のため菊名駅の階段を登っているとき、突然めまい感を生じました。ついに脳梗塞でも起こしたのかと思い、愕然としましたが、周囲を見ると皆がふらついていました。「地震だ」と叫んでいます。これは私の脳梗塞ではなく地震なのだと安心したのですが、ゆれはどんどん強くなってきます。ニュージーランドの地震が頭をよぎり、駅舎がつぶれると思いました。階段の柱にしがみつき、このままつぶれたらこの柱は持ちこたえるのかな等、いろいろなことが頭を駆け巡りました。長い時間でした。幸い駅舎は無事で、私も無事でした。しばらくめまい感が残り、めまいなのか地震なのか分かりませんでした。
駅舎を出ると、人々が建物から道路に飛び出しており、大騒ぎになっていました。急いで診療所に戻ると、従業員、患者さん達がやはり外に出ていて、先ほど具合の悪くなった患者さんも一緒でした。すっかり元に戻り、大丈夫なようでしたが、皆呆然としていました。
今年は花粉症が多く、午後も花粉症の患者さん達がかなりの数来院されました。診察の合間に時々道路を見ると大勢の人達が歩いています。車や電車が動いている様子はありません。従業員に鉄道の様子を見に行ってもらいましたが、東横線はホームに電車が止まったまま、JRに至っては入り口のシャッターすら下ろされていて、動く気配は全くないとのことでした。
そこで次は従業員の帰宅が問題となりました。鉄道関係はどうもだめそうです。タクシーは乗り場に長い行列ができていますが、待っていてもほとんどタクシーは来ず、そもそも道路が大渋滞で車は動いていない状態でした。
従業員はいろいろな所から来ています。歩いて帰れる人は歩いてもらうことにしました。第二眼科で視力訓練を行っている堀江先生が葉山在住で、車で来られているので、鎌倉方面から来ている人は堀江先生に送ってもらうことにし、どうしても帰れない人は私の家に泊まってもらうこととしました。
自宅に電話連絡をしますが、なかなか通じません。「こちら方面は回線が混んでいてつながり難い状態です」のアナウンスが流れるだけでした。
携帯電話は全くつながらない状態で、メールを打って受け付けられても、届かないものと思われました。その為と思われますが、駅前の公衆電話に長い列ができていました。「何でメールを見ないんだ」と男性が公衆電話で大声で怒鳴っていましたが、恐らくメールは届いていなかったのでしょう。
夜10時になっても東横線は動きませんでした。東急ストアーの前の階段には東横線の開通を待つ大勢の人が座り込んでいました。
翌日従業員に聞いたところ、歩行組は最大4時間歩いて帰ったそうで、自動車組は自宅まで5時間かかったそうです。信号機が所々点灯しておらず、渋滞に拍車がかかったようです。あちらこちらで停電となり、道路をはさんで片側は電気がついているが、片側は電気がついていないというようなことも見られたそうです。
こうして経験すると、都市機能とはかなり脆いものですね。
今回の地震は想定以上の大規模なものだったようです。TV画面で見ることのできる災害の様子は目を覆いたくなるような惨状で、広範囲で大勢の方々が被害に遭われたと思われます。原子力発電所のことも心配ですし、被災された方々はしばらくは心の安まることがないと想像されます。終戦後とも比較できるような非常事態であろうと思われ、われわれ日本人は一致団結し、この災難に立ち向かって行こうではありませんか。