中学受験偏差値は底辺、高校受験偏差値も現在底辺な娘&母のブログへようこそ!

中学受験時代、国語は塾にも通わず、まあまあ成績が良かった娘。
「漢字とことば」

↓の教材でことばの学習はキープ




あと読み聞かせ照れ

(こちらはかなりちゃんとやってました。

読み聞かせの題材は絵本から新聞まで多種多様です)


もちろん、毎週のテストや問題集の(国語をとって無かったけど、テキストは買っていた笑)丁寧な読み直しと、直しはやってました泣き笑い


しかし、無事中学に進学出来てからは国語はほったらかしキョロキョロ
語彙強化もしなければ、本も読まない日々悲しい

(読み聞かせもあまりしてなかった悲しい
四谷の組み分けテストみたいなのもないから、良質なロング文書にも出会わないガーン

テキストもない。

塾にも行ってない。

そして何が起きたかというと、


国語偏差値低下 笑


古文や漢語もあるから、、という要素もあるものの、何と言っても

高校生の文章力が身についてないえーん

のが大きな原因かと。


高校生になって分かったことがあります。

同じ国語でも

中学受験は、状況を理解(誰が主人公-メインなのか、誰の言動が悪もしくは良なのか、誰が何を大切に、愛しているのかが分かるなど)できれば、まあまあ大丈夫🙆‍♀️

結果を裏打ちする事実や、伏線も文章中にあるけれど、そこを理解出来なくても、おおよその善悪と流れ(気持ちの変化)が理解出来ていれば大きく間違うことは少なかった。

しかし、高校ともなると、その人物の宗教や抱え持つ見た目などの抗えない性(さが)であったり、時代背景や、民族、歴史など、およそ、社会的背景が理解出来ないと厳しくなってますえーん


例えば

借り暮らしのアリエッティ


可愛い小人の物語でいいのは小学生まで。

実は、種の保存 や、自己肯定感、親との確執、丁寧な暮らしなど、深ーいお話キョロキョロ


大人になって見返してみると、読み返してみると新たな発見があることは私にも覚えがあります。

それは感情が変化したこともあるけど、知識が増えたからなのかもしれませんびっくり

そして、その言葉の持つ背景を広く想像出来るようになってしまったからなのかもしれませんキョロキョロ


子どもと今になって見返してみました。


複雑な感情に気づけるようになっていて、お父さんの厳しいだけじゃない優しさや、どうしても小人を見つけて公言したい家政婦さんの気持ちなどに違和感を持ったようです。


しかし、それをうまく説明したり、何が自分の持つ感情と異なり、違和感となっているのかがわからなかったりでした泣き笑い


義務教育を終えた高校生は

より、自分の中の知識や見識を深める事が必要なのだけど、中堅私立一貫校で高校受験もなく、なんだかのほほんと高校生になった我が娘は、未だにサンタを信じてるんじゃないかってくらい世界が狭くて、ピュアすぎる(良い言い方にしてみた)えーん


が、故に複雑な感情にちょっと疎い悲しい


人物のその言動にどんな背景があるのか。


自分とは違う生き方をしている異なる世界を知っていかないと、受験ももちろんだけど、社会に出てからも困っちゃうガーン


まあ、そこまで人と深く交わらない今ドキの子達は将来も相手を理解出来なくたって困る事なく生活するのかもしれませんが、それって、安定した生活が約束されているからこそ成立するのであって、友人関係や生活にしろ、革命がない人生なんてないじゃないですか?その時、自分の心と向き合う材料が直感だけって感じになってしまうんじゃないかと懸念してしまうわけです。

まあ、それもそれで良いのですが、助言を助言と受け止められない人になってしまうかもしれないことは心配。


あー

なんか今日も

こっちが え?!って思うような理解齟齬をしていた気がする、、

書いていてふと思ったんだけど、それが何だったか思い出せない笑い泣き

結局、こちら側も高校生のやる間違いレベルが高すぎて何が正解なのか考慮が必要なもんだから、私の脳内でも

ムズっ!って思って消去されていってしまうのかも?笑