今、思うこと |  ゆちょもごっそ?

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食べてしまいたいくらいユチョンが好き!歌に演技に頑張っているパク・ユチョン君応援ブログ。

ユチョンを案じ続けてきたユチョンペンたち。

でも今、みんなに「疲労感」みたいなものが蔓延してるような気がするのは私だけだろーか...

 

ああ言えば、こうされ。

こうすれば、ああ言われ。

南から打破しようとすると、北から攻めこまれ。

東から突破しようとすると、西を塞がれ。

 

みたいな気持ち....。

 

なにか出来ることがあるはず!と思ってしまうと、それが見つからないことや、うまく行かないことが苦痛になるけど。今、出来ることって何も無いような気がしたりもします。

じっと待っていると時間が過ぎ去るのがカタツムリのよーにノロい気がするんですよね。何か出来ることがあると時間が早く経つから。

 

でもそれって結局、自分のためでしたね、私の場合。 のんびり待とうって言い聞かせているんだけど、なかなかそれが上手く出来ない、そういう波がこれから何度も来るんだろうに、何回もそれを乗り越えなくちゃならないんだろうに、すでにその波に飲み込まれ気味。だから溺れかけの「自分」を救いたいがために、必死に何かを探してみるという....。

 

だからなおさら、シジェスにイラっとしたりね。

今の流れで、ユチョン寄りどころか、どちらにもフラットな記事なんてものは書いてもらえない。ファンが何かをしても、そんな記事はごくわずかしか出ないし、ファン以外は見てくれない。唯一そのまま報道してもらえるとしたら、「事務所の公式声明」なわけですよね。

 

「誹謗中傷に法的対処します」「最高裁までいきます」

それだけじゃ、ユチョン側の主張はなにひとつ知ってもらえない。相手は、それが事実かどうか証拠がなくとも(むしろ否定する状況証拠すらあっても)言いたい放題に主張。読んでる人は、情報量が多いほうに左右されるますよね、そりゃ...。だからシジェスはもう少しうまく、公式声明というものを利用すべきじゃないかと物足りなく思うんですが....。

 

最高裁まで行くことで長引くのが嫌って声も見ますが、それはあまり単純にいえないかなと私は思ってます。なぜなら最高裁にもっていける期間は法で決まっているし、もしそのまま終わりにして、後日「だったらなぜ上告しなかったの?」「本当に正しいならしたはず」と言われることも多々あるわけで。「最高裁までやるなんて」って言った人に限って、そういうこと後日言ったりするもんですから。

長引くことでネガティブな話題が続く不利益と、最後まで通じようが通じまいが闘ってきたという実績を残す利益、この2つのどちらが大事か、今は私にはどちらが良い選択なのか正直わかりません。あとから「たられば」で語るのは簡単ですけどね....。

 

今回の相手の出方と、それに対するネチズンの反応を見ていると、ガッカリするのと同時に、ああやっぱりそうなんだって、そう思われるんだって気持ちが湧きます。だってかつて自分もそうだったから。わざわざ詳しい情報なんて探さないし、一般人vs芸能人ていう図式だと無意識のうちに「ああこの芸能人そういう人なんだな」って思ってましたよ。ファンが擁護してたら、ファンもおかしいんだなって思ってました。

 

今だからこそ、同じような事件報道を見るたびに、「本当のとこなんてわかんねーな」と思いますが。そういう大衆が抱くであろう感情を無視しすぎると、ファンがする擁護も説得力を失ってしまうと思うようになりました。

 

ここ数年の韓国記事を見ていると、様々なところでフェミが大きく感じられることが多いです。男性芸能人がちょっと言葉選びを間違えただけで、もはや異常なんじゃないかというくらいの非難が書き込まれるし、「読んで勉強しろ!」とフェミ本が送りつけられるのが当然のような風潮。男性側からの「もはや逆性差別」という声も、調べてみるとブログなどでけっこう書かれてるんですけどね....。いまの韓国ではとくに、女性側の主張というものが強くて、ユチョン側が対処を間違ったらまたなおさら悪化してしまいそうで怖いものがあります。冷静に事実を述べていくしか無いと思いました...。

 

こういう流れに、ここぞとばかり乗ったのがあの弁護士だと思います。かつて韓国は弁護士不足だったそうですが、司法試験(年間150人ほどしか合格できない難関)で弁護士になった人に、ロースクール(修了したら弁護士試験を受ける)から弁護士になった人が加わり、今は一気に弁護士の数が増えたそうです。地方ではともかく、ソウルには弁護士が溢れています。今回の事件で記者会見までして、そりゃもう多大な広報効果を得たでしょう。こういう事件専門だそうですし、今後も女性団体とタッグを組むことは利にかなっています。

 

あの弁護士が強いのは当然だと思うのは、「依頼人を守る」という必要が無いからだと私には思えます。本当に彼女の今後の人生を良いものにしようという前提をもっているなら、記者会見をさせる理由がわからないからです。すでに無罪をもらっているんですから。だから記者会見の彼女を「可哀想可哀想」という人を見ると、何が本当に可哀想なのか考えているんだろうかと疑問が湧きます。センセーショナルな悲劇を舞台で見せられて、可哀想がって、結果彼女に残るものはなんでしょうか。1番目の事件のイ氏のときも思いましたが、彼女は自分の欲にも負けたんでしょうが、後ろに彼女を利用してお金を儲けようとした男たちと、彼女を利用して自分達の通したい主張に注目を集めたい女性団体に踊らされた部分もあったと思います。(女性団体は負けが見えたとたん彼女を見放しましたしね)

でも彼女は有罪にはなりましたが、刑期さえ勤めあげれば、2番目のソン氏よりもまともな人生を送る可能性があるように思えるのは私だけしょうか?1人の女性の人生を考えたとき、何が本当に良い選択なんでしょうか?

 


どちらも完璧な証拠が無いとしても、「女性が嘘を言っている」と「ユチョンが嘘を言っている」が同等に扱われるべきはずなのに、ツイなど見ていても実に簡単に「なんとなく、あの女性が嘘を言っている気がしない」「なんとなく、あの女性が本当のことを言ってると思う」という発言を見ます。ファンが盲目的だというなら、一方的な主張だけで構成されているあの女性を擁護するのも盲目的とも言えるんじゃないしょうか。(もちろんこれは全てにおいてとは言いません) これが性別が逆だったら、違うんでしょう。でもユチョンが「男性」の「有名人」だから。

 

 

ここのところ考えていたことをつらつらと書いてみました。

すべて私個人の気持ちであり、他のファンの方がどう考えているか私にはわかりませんし、また同意も求めません。