ゆうちょの日常

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バンsiki.のギターゆうちょの自由気ままな日記。

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兄の話 by 妹


兄は謎に高学歴な一族の中でも圧倒的に素晴らしく天才で、一緒に育っているのもあるけど、両親より親戚より誰よりも凄い人だと私は思っている。この素晴らしさは、勉強だけではないというところにあって、自分の好きなことを貫くスタイルが誰よりもかっこ良いのです。父方は厳格でTHEガリ勉スタイル、勉強を毎日何時間もしてきたタイプなので親戚は東大京大しかいないし、母(も東大)の親戚は勉強あまりしなくても出来るタイプだけど、母が特に自分のことを褒めて!と言ってくる性格なので、やはり人間性含め何においても兄が天才で素晴らしい。

兄は7歳年上で、私と兄は同じAB型なのも関係あるのかないのか分からないけど、とにかく仲が良かった。真ん中に私の4つ上の姉がいるけど、私は母に兄の手下と呼ばれるくらいほぼ兄と一緒にいて姉と遊んだ記憶はほとんどない。。


姉が産まれて神奈川からアメリカのカリフォルニアに引っ越した家族。父が会社で留学というかスタンフォード大学院に行くことになり、それについていったらしい。父は今思えば多分超エリートコースだけど(スタンフォード大学調べてびびる)、父の自慢できる話が一切ないのは父の心は昔特に狭くて私はあまり話もしたくなかったので、断然兄の方が素晴らしいです。笑

2年ほどアメリカに住んでいて兄は近所に友達もでき、家の外では英語で会話をしていた。(母は一切話せないし話そうとする努力もしなかったから1回も美容院にも行けなかったらしい。兄が英語を喋るのを凄いと思ってみていたらしい)
その時のビデオを一度見たことがあるのだけど、兄は車内で「ねえねえーあれはどうして?なんで?」とずっと質問の嵐だったので、この頃から興味が尽きない性格だったのが分かった。

こっちに帰ってきてから私が産まれたときに、漫画のタッチが大好きだった母が、私の名前を「みなみ」にしようと言ったらしいのだけど、小1の兄はその時に「兄と姉がふたもじの名前だから、のちのち何で私だけさんもじなの?って言われるよ」と言ったという母の話がある。それで私もにもじになった。この頃からやはりすごい。後にも両親の言い争い(主に政治の話)に一石を投じて終わらせる子供(高校大学くらいのとき)だった。

私が物心ついた時、兄はとにかく自分で何かを作り出すのが好きだった。理科の実験か何かで手に入れたのか分からないけど、モーターを持っていて、それで銀行のATMみたいな機械を家で作っていたのが、私の一番最初の記憶。
厚紙のキャッシュカードを私にも作ってくれたのだけど(ちゃんと機械に吸い込まれていく)、私のフルネームがローマ字で入っていて、その文字は何でやったのか分からないけどプラスチックの文字できちんと付けられていた。これ手元に残っていたらなあ。高校くらいまで机の中に入っていたけど流石に捨ててしまったな。私の記憶のなかでもあれはものすごい完成度。あれはすごい。普通にATMだった。お札(本物じゃない)が機械の中を流れていった。自分専用のキャッシュカードを貰ったときめっちゃめちゃに嬉しかったのを覚えている。


常日頃私は兄の手下だったので、まず小1か2の時に将棋を教えてもらった。しかし7歳差だし兄は中学生で私が勝てるはずもなく、相当な負けず嫌いだったため私は負けるとすぐ泣き、それで兄はすぐ泣くからやらない、と言って早い段階で将棋をやるのをやめた。
そのあとは麻雀を教えてもらった。家に牌があったので興味を持ち、兄が自分でルールを調べて覚え(もちろんネットなどないので本を買ってくる)、それを私に教え、やり始めるというのが常に流れ。父と母も出来たので、休日麻雀をやるのが一時期日課だった(両親が何かを子供に教えるということは一切ない)。
これは私もかなり率先して休日になるとやりたいやりたいと言っていた。兄が私用に役と鳴いてOKとかを分かりやすく厚紙に書いてくれて、しばらく私はそれを見ながら役を作っていた。(最初はトイトイとチートイツばかりしていた笑)


それと平行してスポーツもずっとやっていた。家の中で素手で野球をして育った。玄関からリビングまでの長い廊下で、ピッチャーとキャッチャーを交互にやりながら、誰々の投げ方、などと言いながらプロ野球選手の真似をしていた。(それもあって私は野球少女で、中高ソフトボール部に入った)
テッキュウという遊びもあった。兄がいつもルールを考えるのだけど、テーブルの上で割と大きめな跳ねるボールでいわば卓球を素手でやるゲーム。色々なルールを決めてきちんと紙に書いてやった。かなり長い間はまった。これはものすごい運動量だった気がする。

サッカーのリフティングにもはまった(もちろん私がはまるのではなく、兄がはまって私にやらせるという流れ)。どっちが長くリフティングを続けられるかということをしていたので、私は小学生のときまじで影ながら100回以上出来た。笑 全て家の中でやっていたので誰の前で披露したこともないけど、多分今でもそこそこ出来る。はず。

兄はボードゲームを作ったこともあった。盤面と駒を作り、ルールも作った。これは本当に凄かった、完成度が高いし普通に面白かった。実家に残っていれば今度写真を撮ってくる…残っていますように。
将棋のような感じなのだけど、王みたいなのをとられたら負け、だけど駒は全て裏返しで自分が配置を考えて置く。なので相手には何の駒がどこに置かれているのか分からない。動かしてぶつかったときに初めてひっくり返し、そこで強い方が相手の駒をとる(将棋と違ってとった駒は使えない)。駒は地雷とかもあり(地雷は動かせない)、動き方もそれぞれある。常に兄の作った表を見ながらやっていた。これはまじで面白い。ひっくり返したら大尉vs少尉→大尉の勝ち、みたいな、でも相性があるから弱いものでも大尉に勝てるやつはあったり……多分今似たようなゲームが世には出てるかもしれないけど、兄は本当に自分で考えているので、将棋からインスパイアされた感じだったかな。あれは残ってるかもしれない、超凄いよホント面白い。

いつ頃からか分からないけど、兄は右利きだけど左利きになっていた時代があった。頭がおかしいので、普通に文字も書けるし箸も使えるレベルになっていた。全てを左で行うという超ドM。普通の人は苛立って無理だよね、というか続けられる精神がやばい、かなり長いこと左利きだったな。ボールも左で投げていた。笑

やたらと漢字にもはまっていたので、私は小学生のとき躊躇や憂鬱が書けた。全ての文字を難しい漢字で書くということを兄がやっていた気がする。亟峨芻縷(きがする)。特に制覇の覇が一番好きな漢字だったと、思う。笑


兄は待ち合わせの30分前に着くような性格で、中学、高校は5時に起きて1時間以上早く登校していた。家で勉強しているところはほとんど見たことがなく、毎朝その1時間で宿題とか勉強をしていたらしい。父以外は全員21時に寝る生活だった。家にはテレビゲームもないしテレビドラマも見たことがなかった。私は兄と帰宅後から18時の私のピアノの練習時間までめいっぱい遊び、ゲームが欲しいとかテレビを見たいとか思ったことはあまりなかった気がする。ただ、学校でテレビの話にはついていけなくて悲しかったのはずっとそう、でも見なかった、それより兄と遊ぶ方が楽しかったのかもしれない。


兄の大学受験は普段と何も変わらない日常のまま過ぎていた。特別勉強したりとかは見たことがなかった。普通に一緒に遊んでいた気がする。語学や世界史が好きだから東京外大のフランス語科に入った(もちろん東大もA判定だった)。滑り止め(?)に上智大のフランス語を受けたけど(多分上智の方が偏差値高い上にこの2校しか受けてない)、文系なのに数学で受験した希有な人だったらしい。上智は確か面接があって、その時の面接官に数学で受ける人なんてほぼいないし数学が満点だったことを聞かされたらしい。笑 文系なのに数学と物理は異常に得意だった、英語はもう得意とかのレベルではないくらい普通に喋っていた。InterFMを確かに聞いていたけど、特に留学もしてないのに何故なのか。苦手科目は化学らしい。
外大の英語のクラスがトップだったらしいけど、兄以外全員帰国子女か留学していた人だったらしい。兄は自分の話はほとんどしないので全て母から聞いた話。


兄は大学生になって(私は中学1年)、この頃家で眠っていた囲碁を、ついに始めた。兄がルールを覚え、教えてくれた。ここから多分5年くらい囲碁にはまった。毎日夕飯を食べた後囲碁をした。大分強くなった、私も。最初は歯が立たなかった父方のおじいちゃんにも兄は後に勝てるようになっていた。この時、私はこの勉強だけの父一族に勝ったと思った。笑 兄が外大に入ったこともおじいちゃんは認めて?いなかった。帰省する度に「アニは東大のどこの学部に入ったんだ?」と聞いてきていた。東大京大しか大学ではないと思い込んでいるのである。


音楽はヒップホップにどはまり。CDやレコードを鬼のように買っていた(バイトは個別指導塾の先生)。多分何かで数えた時4,000枚くらいあった。10万くらいするターンテーブルも買っていた、あとCDをリミックスする何かも。兄の部屋は機材とCD、レコードで埋め尽くされていた。私もキュッキュキュッキュする日々を送った、しかし私は全然上手くキュッキュ出来なかった。毎日ヒップホップを聞いていたので、私は英語は分からないけど日本語ラップは普通に歌える(?)ようになってしまった。今でも多分少しは歌えます。証言イチ!とか仏陀の休日!とか。最近話題に出てたUZIとかね。あと、日常会話で韻を踏んでくるようになった。私にも韻を踏めと言ってきたけど、これは全く出来なかったし興味もなかった。はいはい、という感じだった。笑


私が中3の時にテーマを自分で決めて1年くらいかけて掘り下げていって、最後に発表する授業があり、私は追い込まれないとやらないくそな性格なため、冬になってやばいやばいどうしようテーマも決まってない、みたいな感じだった。それで兄を頼って韓国語を教えてもらい、韓国語の絵本をひとりで訳せるくらいに一瞬で私を育ててくれた。笑 文字も読めるようになったし、発音も出来るようになった。
兄は英語はもちろん、フランス語が喋れるのも分かるけど、韓国語が日常会話レベル出来る。日本語と似ているから。世界の言葉のこことここが似ていたり違ったり、と言うのを比べるのが面白いと言っていた。ロシア語はむずくて諦めたらしいけど、ロシア語科の友達と4年のときに旅行でアルメニアとグルジアに割と長期行っていた(確かロシア語圏?)。今はグルジアは紛争地区で危ないので行けない。そこでバックギャモンを地元の人とやった、と言っていた。バックギャモン知ってる人いますか?これもボードゲーム。一時期めちゃはまったのだけど、、これは結構簡単で、私が姉にも教えたから唯一姉もできるボードゲーム。笑 バックギャモンが異国で役に立つなんて!って衝撃だったなあ。囲碁も将棋も麻雀も上達するのに時間がかかるむずいゲームだけど、バックギャモンは唯一簡単で面白くて教えられるので今度どなたかやりましょう。


大学のとき、兄はパソコンでゲームを作った。これは完成度は低かった、何故なら兄は絵が下手だから。笑 多分ペイントとかで自分で描いたやつで作ってたから見た目がしょぼかった。人生ゲームのようなやつで、確か土地を買ってなんちゃら、みたいなやつだった。あまりやらなかったけど、ボードゲーム作ってたマニュアル時代からパソコンゲーム作れるくらいに変わった。すごいと思った。

あと大学後半はいつのまにか電車オタクになっていた。家に分厚い電車の時刻表があって、それを私が一瞬開いて閉じただけで、「○線の休日の上りダイヤ」みたいなのを答える遊び?をやらされた。まじで一瞬開いて見せるだけで、全てを答えられた。ダイヤが全て頭に入っていた。まじで、きもかった。まじできもかった。あと私が路線図を見て、何々駅から何々駅までの最短ルートは?と聞くと「まずどこどこまで○線で行って、ここは実は徒歩の方が早いから歩いて○駅まで行って○線に乗り〜」という具合に答えていった。間違えたことは1回もなかった、なのにしつこく私に問題を出せと言ってきた。笑


せっかくあんなに語学が大好きで大学も行ったのに、電車の会社オンリーで就活していた。えーもったいなくない?と私が口だした記憶がある。しかし一瞬で就活は終わっていた。最終面接で「受けた理由はとにかく電車が好きだからですね?」と問われたらしい。笑 電車が好きと言うことがよく伝わったんだね。。
そしてフランス語学科に入ったにも関わらず、スウェーデン語の卒論を書いていた、それもかなりの大作だった。それを見て教授に教授にならないのがもったいないと言われたらしい。しかし東大A判定出てても外大に行く兄なので、そこはもちろん鉄道会社に入った。素晴らしく自分道な兄。

入社してから寮に入ったけど、しばらくはしょっちゅう実家に帰ってきていた。人生初テレビゲームを買った、プレステX。それを毎回担いで実家に帰ってきていた、やはり手下は私なのである。ゲームはやりこんだら高校生の私の方が上手かった。兄は持ち帰って練習してまた土日にかついで持ってくるけどやはり私に負けていた。笑 
私が大学受験の時に、実家に帰ってくる度に私の勉強の邪魔をした。本当にあれはひどかった。私が勉強している横で、北斗の拳の「矛盾している」箇所がいくつもあるんだけど、それを延々と解説してきて「ねえここおかしくない?有り得ないよねぎゃははは」と真剣に私に話してひとりでめっちゃ笑っていた。それが本当に毎日2時間とか続いた。社会人なのにこの人まじで頭おかしいって思った。私も怒らずにちゃんと少しは反応してたから偉すぎるわ。私が勉強しなきゃだから遊び相手がいなくて相当暇だったんだろうな。。

仕事では、時刻表をここはこうした方が良いとか自分で考えるのが好きだし、それを提出すると趣味なのに報奨金がもらえると言っていた。今もエリートコースを進んでいるんだろうな、という感じ。よく知らない。25で結婚してかなり遠い人になってしまった。結婚すると聞いたときに私は床を這いずり回って泣いた。

兄に育てられたので私は創造力に著しく乏しい。ただ教えられたら何でもすぐ出来る器用さだけ身に付いた。
文章にしたら、大したことない感じになったけど、兄は偉大だ。考え方とか人間も素晴らしい。この一族でよく自分を貫くスタイルが出来たと思う、本当に尊敬する。あと時間軸が私とは違う。え?いつの間に?ていうことがいつもだった。同じ時間が与えられているとは思えないくらい、同じ時間でたくさんのことを学んでいた。学んでいたというか興味があったらすぐのめりこんで、すぐ自分のものにしてしまっていたんだろうな。知識が半端ないし当たり前に何にも精通している。分からないことがないんじゃないかってくらい、これが天才かっていうかんじ。ただ兄は歌は上手いけど美術はうんちだし楽器も弾けない。以上兄でした。