「もう嫌だ!」って思ってるのに、
なぜか辞められないことってありませんか?

仕事でも、恋愛でも、
「イヤだイヤだ」と言いながら続けてしまう…。



そういうとき、人は実は無意識に
現状を続ける理由を探しているんですよね。

 
 
 

たとえば、
「大変だね」と誰かに心配してもらえるとか、
「こんなに耐えてる自分、頑張ってるよね」と
ちょっとだけ自分を誇れるとか。
 

愚痴を言ったり、我慢したりしているうちは、
そうやって “耐える理由”を強化している段階 

 

 

でも――
「このままでいいのかな?」と考え始めると、
状況は一気に変わります。

 

 

それは、自分の人生や未来に向けた
もっと深い問いかけだから。

 

この問いを持ち始めたとき、人は初めて
“辞める理由”を探し始めるんです。

 

 

私自身、イタリアに行く決断をしたときがまさにそうでした。

「嫌だ」という気持ちだけでは動けなかったけど、
「このままでいいのか?」と自分に問い続けたことで、
やっと一歩踏み出せたんです。

 

 

 

 

さて、あなたは今どちらの段階にいますか?

 

「耐える理由」を探しているのか、
それとも「変わる理由」を探し始めているのか。

 

その問いが、未来を変える最初のきっかけになるかもしれません。

気づけば、2ヶ月半。
これからの自分にはもう合わないな、

と思うものを少しずつ手放し始めて。
 

 

その間、80人近くの方々とやり取りをさせていただきました。
いろんな方とやり取りをして、
物を譲るという行為の中で、意外な発見がありました。

 

物のやり取りの中では、時に簡素なやり取りもあれば、
心温まるメッセージをいただくこともあります。

過去には、少し不快に感じるようなメッセージもあったけれど、
それを「反応しない」ことを自分に課してみた結果、
取引が終わった後、驚くほど相手の対応が変わることもありました。

 

そんなやり取りの中で、昨夜いただいたメッセージがこちら。
 


「持ち物を大切にされてきたことが、写真からでもよく伝わってきます。
 きっと、受け取った方も満足されると思います。」



このメッセージを読んで、ふと思ったんです。


自分が持っている物が、他者にどう映るのか。
その物から、自分の「在り方」も伝わっていくんだな…と。
 

そして、物だけでなく、私自身の扱い方はどうだろうか?
そんな風に、自分のことも改めて考えるきっかけになりました。



 

意外にも、過去にやり取りした方々が、
私に対する評価コメントをしっかりと読んでくださっていることが多く、

ほんの些細なこと、少し手間がかかるかもしれないことを
わざわざしてくださった方々に改めて感謝の気持ちが湧いてきました。

 

このやり取りを通じて、改めて「他力を使う」
ということについて感じることがありました。

表舞台で自分をどう現していくのか、
周りの力を借りるとはどういうことか。


そんなことを今、しみじみと考えている次第です。

 

 

 

春が来ると、イタリアのスーパーには
毎年変わらない風景が現れます。

鮮やかな緑色のそら豆が山のように並び、
そのすぐ隣には、若くてフレッシュなペコリーノチーズ。
このふたつが並んでいるのを見ると、
あぁ春が来たんだなぁと、自然と感じるようになりました。




 

でも、この食べ方を初めて知ったときは、
少なからず衝撃を受けたのを覚えています。
 

そら豆を「生」で食べるなんて——。
 

ワタシとってそら豆というと、どこか苦手な存在でしたし、
小さい頃から「生では絶対に食べてはいけない」と、
強く教え込まれていたからです。
 

記憶の中では、小学校の家庭科の授業で、
「じゃがいもの芽や、そら豆にはソラニンという成分があって、
 体に害があるから注意するように」と習った覚えがあります。

それが刷り込まれていたので、生で食べる
という選択肢がそもそもなかったのです。

 

でも、イタリアでは違いました。

春になると、食卓にはそのままのそら豆がどっさりと盛られ、
人々はペコリーノチーズと一緒に、
なんのためらいもなく口に運びます。
 

「これは本当に大丈夫なの?」と、
心の中で思いながらも、
周囲の自然な様子を見ているうちに、
私も少しずつ慣れていきました。

 

正直に言えば、味自体は
今でもそれほど好みではありません。

でも、そら豆のサヤを開いたときの、
あのふわふわとした柔らかな内側——

まるで豆が大事に包まれているかのような、
あの感触は何とも言えず好きです。



日本では、そら豆の生食について、
今も変わらず「だめ」とされているのでしょうか。
それとも、あれは私の思い込みや記憶違いだったのか…。
 

確かめる術はないけれど、
春の訪れとともに、毎年ふと浮かぶ小さな疑問。

 

ちなみに、アスパラガスもそろそろ出始めました。
季節の移ろいが、今日もまた、静かに続いています。