それでは何故私がADHDを発覚したのか
それから今に至るまでの生活について描いていきたいと思います。
以前、私は大きい総合病院で看護助手として働いていました。
子供も少し大きくなり、働かないと!と社会復帰にも夢を見て
頑張ろうと思いながら社会復帰を果たしました。
それからというもの、苦悩の毎日でした。
覚えられない、メモしたことすら忘れる。そんな毎日。
時間帯も人が足りず変な時間に出勤させられパートの私の契約とは
全く違う形で仕事をしていました。酷いときは帰るのは夜中の2時…
子供を見ている祖母にはこんな時間まで…と怒られ
パートの時間に戻してくれと言えば、「人が足りないのに無理」と言われ
行き当たりばったりでしたね正直(笑)
祖母が体調を崩し、私も体調を崩し、退社してから叔母に
心療内科を勧められて行った心療内科でADHDと発覚しました。
パニック障害、社会不安障害を持っているのはわかっていましたし
ああ、やっぱりな。という思いもありましたね。
ただ、ADHDとは馴染みのない言葉でした。
でも調べれば調べるほど私に当てはまりすぎてるし
でも、「発達障害」という言葉に私は戸惑いを隠せずにいました。
「ええ?自分が、発達障害…嘘だ、いやだ」が正直な感想です(笑)
違うと思っても自分は当てはまりすぎているし
先生からは「気付いてないだけで昔からだったと思いますよ。」と
言われてしまい、思い出せば小学生の頃も当てはまるなぁと思いましたね。
母にはなんて相談したらいいかわからず、祖母に相談すると
「あんたは普通だよ!ありえない!」など怒られ
昔の人には伝わりませんでした。いや、多分うちの祖母が特殊なんです(笑)
そこからストラテラという薬を飲み始めましたが副作用で気持ち悪くなり
一旦やめてしまい、違う薬を試そうと先生は勧めてくださりましたが
「こんなことして意味あるのかな。」と思い続けて私は薬を飲むこと自体を
拒否し始めました。私は違う、私は違う。絶対に違う。
そんな事を考えればパニックが引き起り、息もできず
あの時は本当に自分が壊れてたなと思います。(笑)
布団の中に隠れて動悸が治まるのを待ち、夜は眠れず
旦那には心配され怒られ、説得される毎日。
旦那は全く無知で頑固でそんなもん気の持ちようだ!という
九州男児の方でしたから、心配されてはウジウジするなと怒られる日々
「週3の短時間でもいいから外に働いてみたらどう?」
旦那なりの私への配慮だったと思います。家の中で壊れていく私を見たくない
そんな気持ちもあったのかなぁ(笑)と今では思いますね( ;∀;)
そんな感じで私は介護職へ転職いたしました。
二年前ですかね?短時間になったことで気持ち的には楽になりましたが
また、いつものわたしの悩みが発動しまして(笑)
「なぜメモしてるのに覚えられないの?」「また忘れちゃったの?(笑)」
「今それやるとこじゃないから。優先順位を考えて。」
毎日上司に怒られる日々(笑)でも私は老人の方がとても好きでした。
子供を授かる前は看護師か介護福祉士になりたかったですし
怒られる日々でもやりがいはありました。
そんなとき、また私が壊れつつありました。忙しさがピークを迎え週3から週5へ。
サービス残業平均3時間。こんな仕事ができない私でもいなければ困ってしまう。
利用者さんがケガしてしまう。やることが終わらない。
まったく帰れませんでした。旦那に毎日怒られていました(笑)
そしてついに…心と体がまったく連携できず
心では、やらなきゃ!と思いながらも、体は動きません。
そこまで来てやっと私自身が悲鳴をあげてるのに気付きました。
バカですよね(笑)そして今年の2月に仕事を辞めてしまいました。
続きます。→