源治は幼いうちに両親を亡くした。


山形の造り酒屋の末っ子として生まれたが、物心ついた時には両親はいなく、兄が源治の親代わりとして育てた。


大きな造り酒屋だった生家も3度の火事で潰れていたので、上の学校にも行けず鋳物職人として働かなければいけなかったが、源治はその生来の真面目さと器用さで腕の良い職人となっていた。


仕事を求めて室蘭の製鋼所に移ったのは、二十歳の頃だったろうか。


そこで先輩格に当たる貞治は、源治の仕事ぶりをいつも感心してみていた。


皆が休み時間には一服し、タバコなどを吸っている中でも一人黙々と自分の出来る手仕事をしている源治を、自分の娘と是が非にも結婚させたいと思った。


貞治には4人の娘と一人の息子がいたが、長女のタケヨは歳の頃合いも丁度良い。


決して美人では無かったが、兄弟思いの優しい子である。


源治は思いのほかに、その話を受けてくれたのは貞治にとっても、喜ばしいことだった。


貞治とその妻のふさは夫婦仲が悪く、三日に上げず喧嘩をするので、離婚はしないまでもその頃には別居し、ふさは娘たちにおやきを焼かせ、今で言うおやきのデリバリーのようなことをしていた。


ふさには商才があり、また人に振る舞うことも好きだったので、その後蕎麦屋をし始めたが、そこに貞治も毎日顔をだし、酒を飲みながら熱々の蕎麦を流し込むような食べ方を好んでいたから、最期は癌になり亡くなった。


それは、源治とタケヨ夫婦に最初の子供が生まれ、その子が小学校に上がる頃のことである。


その最初の子が、私の母の郁枝である。


つづく