昨日のつづきです。
突然可愛がっていたペットに死なれると、その亡骸を心行くまで傍に置いておきたい!という気持ちになるものではないかと思う。
次第に温かさが冷たさに変わり、柔かかった身体が次第に硬くなっていく。その変化を悲しく思いながらも、それでも出来ることなら暫く傍に置きたい。
そんなことを言いながら、私はメロンを撫で続け、私が立った後は三男が撫で続け、そして、たまに夫が撫でる、そんな土曜日の午後になった。
夫は言った。「だめだ、いつまでも置いておくのは。」
「そうかな~・・・」
夫は夕方会合があり外出し、10時頃戻ったが帰るなりまた言った。
「やっぱり、だめだ。」そう言って、メロンの頭を撫でた。
その時思った。そうか、お父さんも辛いんだ!やっぱり辛いんだ!
メロンを買ったペットショップで紹介してもらった所に電話し、メロンのお葬式の全ての手配をしたのは三男。
三男は一度仕事があるから!と自分のアパートに戻ったのだが、その合間に自分のパソコンに入っていたメロンの写真を全部現像し、アルバムを作って夜にまた戻って来てくれた。
その写真を見ながら、涙しながらメロンの思い出ばなしをした。
そして日曜日。澄川の山の中にある動物専用の火葬場で荼毘に付した。その後、豊平にある合同合祀所に埋葬した。以前飼っていたシロンもそこに眠っている。
こうしてあっという間に我が家からメロンの姿が消えた。
今思う事は、夫の判断は正しかったということ。
動物には人間のように未練なんていうものはない。動物こそその瞬間に生きている。人間のように過去に捕らわれたり、未来に不安を感じるなどという、メンドクサイことはない。
メロンはすごく分かりやすい子だったので、メロンの感情?を見るにつけ私は思ったものだ。
”私もわんこのように生きたい!”と。
動物から学ぶことはいっぱいあるもんだ!と。
時に、身近な人の死やペットの死が家族の関係を見直すことになることがあると聞く。
今回は私にとっては、家族の有難みを再確認した結果になった。
我が家はどちらかと言えば男の存在の方が大きい家族である。そのせいか、私は時々何か”ごつごつ?”した感じがすることがあったり、あっさり、さっぱり感の強い家族だ、と思って来た。
でも、それぞれの中にある温かさ、優しさ、思いやり、そんなものが見えて、なかなかいい家族だな~との思いを再確認したのだ。
それに何と言っても私の悲しみを大切にしてくれた。それは取りも直さず私を大切に思ってくれていることになるが、その感触がダイレクトに伝わって来たのが本当に嬉しかった。
良い息子を持ったな~!良い夫を持ったな~!と感じた日々だった。
それをもたらしてくれたのは、メロンであった。
だから、メロンの死は寂しいことではあるけれど、決して悲しいことではない。そうなんだな~と思ったら、一層メロンに感謝だな~と。
お友達の励ましやメロンのことを聞いて下さる方にも、心から感謝したい。
それがなかったら、私はもっとメロンを引きずっていただろう。
お友達の皆さん、本当にありがとうございました。
これは逆さまなのではなくて、メロンが仰向けに寝ていて、マロンがその上に乗っているんです。メロンはいつもこうしてマロンと遊んでいたのです。メメちゃん、まーちゃんと遊んであげてね!と言うと、いつもこうしてくれたいたんですよ。