
僕の専攻のゼミは全部で8つあり、その中から1つ入れるようになっている。毎年、11月にゼミ説明会があり、12月に各ゼミの雰囲気をわかってもらうための体験授業であるオープンゼミがある。
その中で、唯一オープンゼミで出欠を取る某Aゼミがある。当時なぜオープンゼミでわざわざ出欠を取るのか不思議で仕方がなかった。
出欠に敏感な慶應生は、某Aゼミに出欠があったことをすぐに知り、驚いている人もいた。
その出欠はゼミ試の選考とは直接は関係ないとのことであった。
ではなぜ、わざわざ出欠を取るのか。そのゼミに入っていないのでもちろん真相は定かではないし、考え過ぎなのかもしれないが、「出欠を書いて、提出する」という行為がポイントで、出欠とは別に裏の意味がある気がしてきた。
◆自社商品コンテストと支持率の関係性
広告業界にいる人なら知っている人が多いと思うが、年に一度、宣伝会議賞という公募の広告賞がある。
若手のコピーライターの啓発、ならびに人材の発掘・育成やコピーライターの意識の向上を目的に開催されていて、誰でも簡単に応募できるという手軽さから昨年は応募総数38万通を超えるなど、日本最大規模の公募広告賞である。
協賛企業50社からそれぞれ1課題ずつ提供される。
例えば、リクルート住まいカンパニーの課題だと、「初めて家探しをする人がSUUMOに来たくなるコピーを考えてください」といった感じだ。
グランプリは賞金100万円で、その他にもたくさんの贈賞がある。
毎年50社というたくさんの一流企業が協賛し、課題を出すのだが、協賛する企業はちゃんと裏のメリットを理解している。
それは、できるだけ多くの人に自社の商品を支持させるということだ。
参加者は、グランプリを取るためには、その課題の商品を詳しく知り、賞賛しなければならない。
そこで、宣伝会議賞の参加者は、商品の賞賛すべき点を探し、それをキャッチコピーの中に盛り込むことになる。
その結果、協賛企業の商品を好きになり、自分が書いたことを信じるようになり、宣伝会議賞が終わった後も、その商品を使い続ける人が増えるそうだ。
人は書いてしまったことに見合うように、一貫性を保って行動するのである。
◆自己イメージを行動に合わせる
有能な政治家は、ある種のラベルにコミットさせることで事が自分に有利に運ぶようにしてきた。エジプトのサダト元大統領は、国際交渉が始まる前に、交渉相手に対して、彼らやその国民は協調性が高く公正であることで広く知られていると伝えた。これは一種のお世辞だが、これによって彼は相手の気分を良くしただけでなく、相手のアイデンティティと彼が目指す目標の達成に役立つ相手の行動を結びつけたのである。
交渉のスペシャリスト、ヘンリー・キッシンジャーによると、サダト元大統領が成功したのは、彼が相手の評判を持ち上げることによって、自分の利益に合致した行動を相手から引き出したことが大きな理由になっていたみたいだ。
自己イメージを合わせようとする圧力と、他者が自分に対して抱いているイメージに、自己イメージを合わせようとする心理が生まれて、言った意見の方向に、他人の態度を変えるように説得することができたのである。
◆犯罪者更生手法、ロールレタリング
高校の修学旅行で泊まったホテルで、同じ部屋だった友達が、はしゃぎすぎて部屋の壁に穴を開けてしまったことがあった。もちろんばれて怒られていたのだが、修学旅行中にかなりの字数の反省文を書かされていたことを、先日地元の友達と昔話をしていて思い出した。
反省文と言えば、犯罪者の更生手法の一つに、ロールレタリングというのがある。
ロールレタリングとは、犯罪者が被害者や自分の家族などに対し、擬似的に「被害者の心情を考え、相手の立場になった」手紙を書くという更生のための手法である。
まずは自分から被害者に手紙を書き、次に被害者の気持ちを想像しつつ、被害者から自分への架空の手紙を書く。それを繰り返し最後は、被害者への謝罪の手紙を書いて、更生させるというやり方である。
ロールレタリングで「共感回路」を強化でき、そのおかげで相手の立場になって考えられるようになるのだが、注意すべきなのは、自由に意見を書いたわけではないと知っているときでも、人はそのように考え続けるということだ。
◆ 〝書く〟 という魔術的な力

去年の11月にあったゼミ説明会で 2年生の前でプレゼンをした。もちろん自分のゼミを好きになってもらうため、入ってもらうためのプレゼンなので、「うちのゼミ楽しいですよ」感を出した資料を作った。
そうしたら、その資料作りの過程で、驚くべきことに以前よりも増して、誰よりも自分のゼミのことを好きになってしまった。自分で書いたことを信じるようになるという魔術を経験した瞬間であった。
自分が書いた意見に合うように自己イメージを変えさせる力が存在するのである。
発言や行為が一貫していたいという欲求は、しばしば自分の本当の利益とは明らかに反するような行動に僕たちを駆り立てる。
考えていることや言っていることと実際の行動とが一致しない人は、裏表のある人だとか、頭がおかしいのではと疑われる。一方、それらが一貫している人は、人格的にも知的にも優れていると考えられるのが普通である。
ある問題に対して自分の立場をはっきりさせてしまえば、それ以上その問題について真剣に考える必要がなくなる。
一貫性を保つこととは、多大な精神的労力を必要とする複雑な日常生活を営んでいく上で、便利で、比較的楽で、効果的な、しかし愚かで、危ういことなのである。
「文章を書く」という自分の無意識に訴え、行為を一貫させようとする力を利用したことが、冒頭で挙げた例の「出欠を取る」ということだったのかもしれない。
どのゼミかで迷った時に、「あの時、出欠カードをわざわざ出したのだから、このゼミに決めよう」
そう思うように仕組まれていた、と考えてみるのはどうだろう。某Aゼミとは社会心理学のゼミなので、あながち間違ってはいないかもしれない。
今まで書いてきたように、人間には自分がした行為に対して、一貫性を保とうとする心理が備わっているのだから。
この出欠の話はあくまで想像の域での話だ、ということを最後に付け加えてこの文章を終えたいと思う。
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