ありがとう
皆さまの暖かい励ましのコメントに感謝です。
ひと言ひと言にどれほど癒されたか・・・
前の記事で書いた「虫の知らせ」の夢の話
姉は私に何か言いたかったんじゃないか?
それなのに私は病院へ行かなくて最後に会えなかった・・・
姉に申し訳ないという懺悔の気持ちでいっぱいだったのです。
でもその夢の中での姉の笑顔がず~と焼きついているんです
亡くなって棺に入った姉の顔や闘病中の顔が思い出せないほど
焼きついているのです
ふと思いました。
姉は私に明るく笑っている顔を覚えていて欲しかったのかな・・・て
2月18日にいなくなっちゃうけど、辛くないからね・・・て
もの凄く調子のいい解釈だけど、そんな風に思えてきました。
だってその夢いらい姉は夢に出てきてくれません
何度お願いしても出てきてくれないのです
笑顔だけが私の心の中に残っています
ありがとうお姉ちゃん
約束するからね!見守っていてね!
絶対乳癌に負けないから!
虫の知らせ
姉が亡くなって一週間経ちやっと気持ちが落ち着いて来ました。
暖かいコメントありがとうございます。
いろいろ後悔する事ばかりが思い出されていました。
虫の知らせって経験ありますか?
今月の初めの事です。夢を見ました。
私の家に姉が来ていて、その姿は元気だった頃の姉でした。
二人で並んで一緒に新聞を読んでいるんです
姉が自分の読んでいる新聞の日付を指差して
「今日は、2月17日ね?」
それを見た私は自分の読んでいる新聞の日付を指差して
「違うよ今日は2月18日」
姉は握りこぶしを頭に当てながら「間違えました~」って笑いながら
とっても明るい元気だった頃の姉の笑顔でした。
目が覚めて、もの凄くリアルに覚えていたので、その事が驚きでした。
いつも夢を見ても見たことは覚えているんだけど、内容は殆ど忘れてしまっている事が多いから
日付がとても気になっていました。でもその時は、姉は入院していなくて
電話でも元気そうにしている様子を聞いていたのです。
それから2~3日後でしょうか、姉が肺炎で入院したと聞いたのは・・・
直ぐに夢の事を思い出して、もう一人の姉(長女)に話しました。
その姉も「嫌な夢やなぁ・・・」って、
その時の姉の状態はあまり良くなかったので、本当に不安でした。
しばらくして状態も落ち着いてきて、ご飯も良く食べて文句も言うようになって来て
病室も個室から4人部屋に変わったりして、元気になってきたので
やっぱりただの夢だったんだって、思いました。そう思い込みました。
それから私も風邪を引いてしまって病院に行けない日が続いて
また夢を見ました。今度は亡くなった父が出てきて、、、
姉の様子を聞いても何の変わりも無くて元気にしている様子
次の日も父が夢に出てきました。内容は、家族みんなが集まってわいわいやっている
そんな夢でした。
風邪も良くなったので明日にでも病院へ行こうと思った2月18日長女から電話がありました
「容態が悪くなったから今すぐ来れる?」
電車の中で祈りました。ただひたすら・・・そして大きな後悔が湧いてきました
どうして私は今日病院に行ってなかったの!!
携帯が鳴りました。長女からでした「あかんかった・・・」
電車の中で一人泣きました。お昼だったので人が少なくてよかった
突然
姉が亡くなりました。
昨日は車椅子に乗って
病院のコンビニに行ったのに
今日から歩く練習を始めるところだったのに
朝ご飯も食べて…
最期は苦しまなかったそうです
それだけが救いです
今まで辛い治療を頑張ってきたもの…
今日は、主人の誕生日。
忘れっぽい私が絶対忘れない日になりました。
お姉ちゃんらしいょ

あせらずに
体調はかなり復活しました
ご心配おかけしました
メールやコメント・・・
嬉しかったです
少しずつ前に進んでいきたいと思います
このブログをはじめたきっかけは、乳癌について書き留めたいと思ったから
なのになかなか進まなくて
それでなくても物忘れがひどくなっている今日この頃なのに
どんどん忘れていってしまいそうなので
忘れないうちに書いていきたいと思います
かなり忘れてしまった部分も多々ありますが・・・
乳癌が分かったというか、正確にはおかしいな~?って、思い始めたのが、
2008年の3月でした
その時は、姉も闘病生活に入っていたし「もしかしたら・・・?」「いやそんなことは・・・」と
自問しては、そんな事はないだろうって、思い込ませていたんですね
でもやっぱりおかしいって、主人も「お姉さんのこともあるから直ぐ病院行こう」って、ことになったのが
4月の終わりごろでした
でも、私は病院へ行くのは「5月のGWあけじゃないと絶対いや」って、、、
主人と喧嘩しました
5月のGWには、次男の野球の大会があったんです
病院に行って乳癌と分かったら即入院で手術だと
無知な私はそう思い込んでいたのです。
話しが後戻りしますが、乳癌は私にとっては不治の病だとしか考えられなかったんです。
主人の母、兄の奥さんを乳癌で亡くなっているのを見てきました
そして今度は姉が余命を宣告されての治療中
きっと私もそうなんだと・・・
どうせ死ぬならこの大会は、思いっきり応援して心残り無く治療に専念したいって
今から思えば、バカな思い込みだったんですが
その時は真剣で、ドラマの主人公になっていました(笑)
主人はきっと気が気じゃなかったでしょうね・・・
本当に悪い嫁です
大会の結果は、みごと優勝し2連覇を達成しました。
GW明けに行った病院では、その日のうちに乳癌と宣告され
CT、超音波、骨シンチ、MRI、など怒涛のように検査をこなして
結果、リンパには転移があるけど、他には無い
でも、検査では見えないがん細胞が散らばっている可能性もあるので
手術をする前に抗癌剤治療をしようと言うことになりました。
ラッキーだったのは、たまたま見てもらった外科の先生が乳腺の専門医で
「県内でも3本の指に入る」と、自分で仰っていました(笑)
実際、その先生の診察日には、沢山の患者さんが来ていましたし
待合室で座っていると、決まってお年寄りから
「先生誰?」って聞かれて(笑)
「○○先生」と、言うと「あの先生はえ~先生やで!しっかりしてはるし、だいぶん偉いそうやで」と、言われます。
病院にいてるお年寄りの情報ほど確かなものはないでしょう(笑)
それよりも不思議なのは、後で分かったのですが、すい臓癌で亡くなった友達が
最後にお世話になったのが、そのドクターだった事
その友達は、息子の野球のチームメートのお母さんです。
いちばん元気だった彼女が亡くなったのが、息子達が中学2年の秋でした。
新チームとしてやっと自分達の子が活躍するその時でした
野球が好きで誰よりも大きな声で応援していた彼女
その彼女が、ず~と口癖のように言ってたのが
「中学行ったら全中行こや!このチームで絶対行くで!」でした。
全中なんて無理やろ~と、思いつつもそこを目指して頑張ろう
当時は漠然と思っていたのですが、
全中に出場できたんですよね
それも彼女が見守っていたかのような勝ち方でした
彼女の息子さんが大活躍で・・・・
その話しは、また今度書きます
長くなりました。最後まで読んでくださってありがとう
書いているとなんだか頑張らなくっちゃ~って、元気が出てきました