mameのブログ -32ページ目

ありがとう

皆さまの暖かい励ましのコメントに感謝です。


ひと言ひと言にどれほど癒されたか・・・


前の記事で書いた「虫の知らせ」の夢の話


姉は私に何か言いたかったんじゃないか?

それなのに私は病院へ行かなくて最後に会えなかった・・・

姉に申し訳ないという懺悔の気持ちでいっぱいだったのです。


でもその夢の中での姉の笑顔がず~と焼きついているんです

亡くなって棺に入った姉の顔や闘病中の顔が思い出せないほど

焼きついているのです


ふと思いました。

姉は私に明るく笑っている顔を覚えていて欲しかったのかな・・・て

2月18日にいなくなっちゃうけど、辛くないからね・・・て


もの凄く調子のいい解釈だけど、そんな風に思えてきました。


だってその夢いらい姉は夢に出てきてくれません

何度お願いしても出てきてくれないのです


笑顔だけが私の心の中に残っています

ありがとうお姉ちゃん

約束するからね!見守っていてね!

絶対乳癌に負けないから!


虫の知らせ

姉が亡くなって一週間経ちやっと気持ちが落ち着いて来ました。


暖かいコメントありがとうございます。


いろいろ後悔する事ばかりが思い出されていました。



虫の知らせって経験ありますか?


今月の初めの事です。夢を見ました。


私の家に姉が来ていて、その姿は元気だった頃の姉でした。

二人で並んで一緒に新聞を読んでいるんです

姉が自分の読んでいる新聞の日付を指差して


「今日は、2月17日ね?」

それを見た私は自分の読んでいる新聞の日付を指差して

「違うよ今日は2月18日」

姉は握りこぶしを頭に当てながら「間違えました~」って笑いながら

とっても明るい元気だった頃の姉の笑顔でした。


目が覚めて、もの凄くリアルに覚えていたので、その事が驚きでした。

いつも夢を見ても見たことは覚えているんだけど、内容は殆ど忘れてしまっている事が多いから


日付がとても気になっていました。でもその時は、姉は入院していなくて

電話でも元気そうにしている様子を聞いていたのです。


それから2~3日後でしょうか、姉が肺炎で入院したと聞いたのは・・・


直ぐに夢の事を思い出して、もう一人の姉(長女)に話しました。

その姉も「嫌な夢やなぁ・・・」って、


その時の姉の状態はあまり良くなかったので、本当に不安でした。


しばらくして状態も落ち着いてきて、ご飯も良く食べて文句も言うようになって来て

病室も個室から4人部屋に変わったりして、元気になってきたので


やっぱりただの夢だったんだって、思いました。そう思い込みました。


それから私も風邪を引いてしまって病院に行けない日が続いて


また夢を見ました。今度は亡くなった父が出てきて、、、

姉の様子を聞いても何の変わりも無くて元気にしている様子

次の日も父が夢に出てきました。内容は、家族みんなが集まってわいわいやっている

そんな夢でした。


風邪も良くなったので明日にでも病院へ行こうと思った2月18日長女から電話がありました


「容態が悪くなったから今すぐ来れる?」


電車の中で祈りました。ただひたすら・・・そして大きな後悔が湧いてきました

どうして私は今日病院に行ってなかったの!!


携帯が鳴りました。長女からでした「あかんかった・・・」



電車の中で一人泣きました。お昼だったので人が少なくてよかった

ようこそ~






なんだか見ているだけで、ホンワカしますクローバー
長い間ほったらかして、
ごめんねあせる

突然

今日…

姉が亡くなりました。

昨日は車椅子に乗って
病院のコンビニに行ったのに

今日から歩く練習を始めるところだったのに

朝ご飯も食べて…

最期は苦しまなかったそうです
それだけが救いです

今まで辛い治療を頑張ってきたもの…

今日は、主人の誕生日。

忘れっぽい私が絶対忘れない日になりました。

お姉ちゃんらしいょ

あせらずに

体調はかなり復活しました


ご心配おかけしました


メールやコメント・・・

嬉しかったですありがとう


少しずつ前に進んでいきたいと思います合格



このブログをはじめたきっかけは、乳癌について書き留めたいと思ったから

なのになかなか進まなくて汗


それでなくても物忘れがひどくなっている今日この頃なのに

どんどん忘れていってしまいそうなので

忘れないうちに書いていきたいと思います


かなり忘れてしまった部分も多々ありますが・・・


乳癌が分かったというか、正確にはおかしいな~?って、思い始めたのが、

2008年の3月でした


その時は、姉も闘病生活に入っていたし「もしかしたら・・・?」「いやそんなことは・・・」と

自問しては、そんな事はないだろうって、思い込ませていたんですねかお


でもやっぱりおかしいって、主人も「お姉さんのこともあるから直ぐ病院行こう」って、ことになったのが

4月の終わりごろでした


でも、私は病院へ行くのは「5月のGWあけじゃないと絶対いや」って、、、

主人と喧嘩しましたむっ


5月のGWには、次男の野球の大会があったんです甲子園


病院に行って乳癌と分かったら即入院で手術だと

無知な私はそう思い込んでいたのです。


話しが後戻りしますが、乳癌は私にとっては不治の病だとしか考えられなかったんです。


主人の母、兄の奥さんを乳癌で亡くなっているのを見てきました

そして今度は姉が余命を宣告されての治療中

きっと私もそうなんだと・・・


どうせ死ぬならこの大会は、思いっきり応援して心残り無く治療に専念したいって

今から思えば、バカな思い込みだったんですが

その時は真剣で、ドラマの主人公になっていました(笑)


主人はきっと気が気じゃなかったでしょうね・・・

本当に悪い嫁ですごめんなさい


大会の結果は、みごと優勝し2連覇を達成しました。



GW明けに行った病院では、その日のうちに乳癌と宣告され

CT、超音波、骨シンチ、MRI、など怒涛のように検査をこなして


結果、リンパには転移があるけど、他には無い

でも、検査では見えないがん細胞が散らばっている可能性もあるので

手術をする前に抗癌剤治療をしようと言うことになりました。


ラッキーだったのは、たまたま見てもらった外科の先生が乳腺の専門医で

「県内でも3本の指に入る」と、自分で仰っていました(笑)


実際、その先生の診察日には、沢山の患者さんが来ていましたし

待合室で座っていると、決まってお年寄りから

「先生誰?」って聞かれて(笑)

「○○先生」と、言うと「あの先生はえ~先生やで!しっかりしてはるし、だいぶん偉いそうやで」と、言われます。


病院にいてるお年寄りの情報ほど確かなものはないでしょう(笑)


それよりも不思議なのは、後で分かったのですが、すい臓癌で亡くなった友達が

最後にお世話になったのが、そのドクターだった事


その友達は、息子の野球のチームメートのお母さんです。

いちばん元気だった彼女が亡くなったのが、息子達が中学2年の秋でした。

新チームとしてやっと自分達の子が活躍するその時でした


野球が好きで誰よりも大きな声で応援していた彼女

その彼女が、ず~と口癖のように言ってたのが

「中学行ったら全中行こや!このチームで絶対行くで!」でした。


全中なんて無理やろ~と、思いつつもそこを目指して頑張ろう

当時は漠然と思っていたのですが、

全中に出場できたんですよね

それも彼女が見守っていたかのような勝ち方でした

彼女の息子さんが大活躍で・・・・


その話しは、また今度書きます


長くなりました。最後まで読んでくださってありがとう


書いているとなんだか頑張らなくっちゃ~って、元気が出てきました元気