耕太さんは、私の娘とほぼ同じ年齢。
耕太さんが、お父さん=船越康弘さんの自分の育て方について話されました。
それは、満6才まで、野菜と豆類だけ。肉、魚、卵なし。市販のおやつは一切駄目。牛乳なし。予防接種一切なし。
これは、私も娘に全くその通りの育て方をしました。違うのは、満3才までという期間だけ。
私は、子供が出来たら、三つ子の魂百までで、身体の基礎をきちんと作ってやりたいと思ってました。
そして、私の元に生まれてくれた女の子は、酷いアトピーでした。
だから、本気で取り組みました。
アトピーの薬を一切使わず、ひたすら改善するのを待ちました。
風邪も症状を薬で抑えず、本人に乗り越えさせました。
予防接種は、過敏体質の娘に少量でも病原菌を入れることが怖かったのと、予防接種には、その品質保持のため、水銀が使われているという危険さを考えて、全く受けませんでした。
小児科へ相談に行って、その先生から、もし感染しても、血清をすぐに使えば、命を落とすことはないと、知恵を頂きました。
外遊びをして、蚊に刺されて日本脳炎とか、起こりうることに対して、ある意味、私は命がけで、娘の様子を観て育てました。
どこへ行くのも、必ず娘のお弁当を作って、おやつも手作りか、安心出来るものだけ。
耕太さんは、満6才までだったから、その不自由さを覚えてて、そして、その後のワラの家の手伝い三昧の生活と、やはり自然食という食生活に、ある時プツンと切れてしまったそうです。
いろんな色に髪を染め、ピアスも沢山あけ、お菓子を貪り食べ、引きこもり…etc
ても、そんな自分にまたもがき苦しんで、
そんなある時、お父さんの「人が嫌がることを自分がやってみろ!そして、続けてみろ!」の言葉から、トイレ掃除なら自分でも出来ると、それから、自分が出来るトイレ掃除を丁寧にやり続けているのだそうです。
お父さんに対する観方も変わって来て、父のぶれない自分軸をすごい!と思いますと話されました。
遠くの人に伝えるのでなく、まずは身近な人を大切にすること。
それは、まず自分。そして、家族。
そのために、自分で決め、実践する。
これを父の背中から学びました。
壊れた体も、基礎が出来てたから、回復出来ましたと、話された時、
私は、私の子育てもあれで良かったと、背中をトントンとしてもらった感じがして、涙溢れて来ました。
私は、私の元に来てくれた子供を、自分の決めた育て方で育てましたが、それを娘の子育てに押し付けることは、一切ありません。口出ししないです。
娘は娘。
今、娘と時々ランチしたり、ケーキやアイスクリームを一緒に食べれることが、とっても幸せな私です(≧∇≦)