父の最後の言葉 | ゆうゆうれいき

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つまずいたり凹んだりの日々ですが、

ヨガの学びを活かし前向きに生きたいと思っています。

よろしくお願いします。

「クソババァに物申す」

金沢に住むヨガ指導員Tさんのブログのタイトルです。


すごいタイトルだな~と読んだら、涙出てきちゃいました。


Tさん、ずっと自分の母親が自分を嫌ってると思ってきてて、

それを勇気出して、お母さんに聞いてみたのだそうです。

そしたら、実はそうではなかった。


お母さんの言葉使いや態度は、Tさんにとって、

自分を嫌いなんだと思ってしまうほどのものだったそうですが、

それは、娘が嫌いな訳でなく、

いわゆるストレス発散みたいな・・

また、自分の言動が、そんなに娘を苦しめていたと、

気付かずにいたと分かったのだそうです。


私は、そのブログを読んですぐ、亡き父を思い出しました。


私も、ずっと父は私を嫌いなんだろうなぁと思っていました。


いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた父。


自分は、兄弟が多くて、ろくに学校に行けてないから、

勉強は出来ない。

でも、おまえは学校に行けてるから、

勉強は出来て当たり前。

自分が足が速いから、おまえも速く走れて当たり前。


だから、褒めてもらったことがない。


そして、小言ばっかり言われた。

要領の悪いことを、いつもいつも叱られた。


だから、父の側には居たくなくて、

同じ部屋にいることは無かった。


私の結婚はお見合いで、父も良しと思える家に行って欲しかった。

でも、私がそうせず、長く付き合ってた今の主人を選んだので、

結婚式には出なかった父。


娘が出来て、結婚後初めて実家に帰ることが出来た。

産後の休暇は実家に帰ることが多いけど、

私はそれは苦痛だったので、

主人と二人で何とか産後を乗り切った。


今住んでる家を買うことにした時、父は私を叱った。

何があるか分からないのに、何で借金を持つのかと。


頭金を貯めて、ローンも滅茶をせず、身の丈に合う家なら、

頑張れよと、私なら子供に言うけどな。


2才年下の弟は、勉強や運動は、そう出来るほうではなかったけど、

長男だし、よく喋って明るい子だったので、

父のお気に入りだった。

私は父と同じで、人と交わるのが苦手で暗い子だった。


そんな父も、孫は可愛がってくれて、

私はそこに初めて父の笑顔を見るようになった。


晩年パーキンソン病になり、

実家にお見舞いに帰ると、その都度「よう帰って来てくれた。」

と喜んでくれた。


病院でもう長くないと言われて、

苦しい息をしてた父に、

私は、「私は悪い娘やったね!?ごめんね。」と父に言いました。

父をずっと好きになれなかったこと、謝りました。


そしたら、父は顔を歪めて頭を横に動かしたんです。

「そんなことない。」と私には受け取れました。


それが父の最後の言葉になりました。