4月8日、午前2時
父が亡くなりました。
「お父さんは、お前と違って、
先々の事までちゃんと計算してるんだよ」
行き当たりばったりなわたしが、
いつも父から言われていた言葉です。
その言葉通りの最期でした。
自発呼吸が不安定になってから、
わたしと妹は病院に泊まり込みました。
横になる事なく、自宅と病院を行き来し、
さすがにフラッとして来た3日目の晩に
父は亡くなりました。
あんまりあっさり逝ってしまうのも寂しいけど、
あまりに引っ張り過ぎてわたし達が
倒れてしまっても困る。
ちょうどいいタイミングを、
見計らっていたみたい。
医師が確認に来てくれて、4月8日と言われて。
お釈迦さまの生誕の日だなぁって、
ぼんやり思いました。
病室の片付けや、葬儀社への連絡等をして、
クルマを取りに一旦帰宅しようと、
病院を出たら
目の前に怖いくらい、大きな月。
今年一番のスーパームーンだったとか?
父ちゃん、いろいろ狙ったのかな?
って思いました。
真夜中に亡くなったおかげで、
真夜中に外を出歩く事なく、
薄明るくなってから外出する形になりました。
これも、夜遅くにわたしが出歩く事を
極端に嫌った父らしいなって感じました。
わたしの住む市には火葬場がなく、
亡くなって翌日すぐに火葬は
出来ないとのこと。
さらに今日は友引なので、
火葬場がお休み。
土曜日はお寺さんの都合で出来ず、
日曜日に父を送り出すことに。
時間を稼いでくれたのかなと思っています。
そして今日。
妹と葬儀社へ、火葬代を支払いに行きました。
対応してくれた事務員さんが、
「三中だった?ソフト部だった?」
とか聞いて来て。
ポカンとしてたら、
「やっぱり◯◯ちゃんだ!!」って。
よーく事務員さんの顔を見たら、
中学の同級生でした(笑)
2年生の時の1年間しか、
同じクラスではなかったのに、
よく覚えててくれたなぁ。
おかげで、親の葬儀を控えてるとは
思えないほど、妹も交えておしゃべり
しまくって楽しかったです。
これも、父の計らいかななんて思いました。
しかし、マスクして目玉しか出てないのに
すごいよね。
妹に、「どんだけ変わってねーんだよ」
と笑われました。
叔父や叔母にとっては、わたしは
初の姪っ子なので、特に心配なようで(笑)
父に負けないくらいわたしを
心配してくれてます。
何でも言いなさいよ!すぐ行くから!
ちゃんと食えよ!ゆみが倒れたら親父さん心配すんだぞ!
父の病気が分かってから、何度言ってもらったか。
ありがたいです。
最後の入院直後、看護師さんに父が、
嬉しそうに話したそうです。
「かみさんが亡くなった後、
娘ふたりとあちこち旅行したのが、
いちばんの思い出なんです」って。
ホントに嬉しそうに話してくれたのよ
って看護師さんに教えてもらいました。
叔母が、「いい娘ふたりも持って、
幸せだね」って言ったら、父は
「まったくだな」って笑っていたそうです。
妹はともかく、わたしは親不孝ばかりで
ちっともいい娘なんかじゃなかった。
いくつになっても、心配ばっかりかけてた。
なのにそんなふうに言ってくれたなんて。
次に生まれてくる時も、
父ちゃんの娘で生まれて来たい。
父ちゃんは、もう勘弁してくれって
言うかもしれないけど

でも、父の心配性もどうかと思う。
遅くまで帰ってこないと、
迷子になってないか心配で寝れないって

でも、わたしが遅くなるのなんて
LAVAしかなかったのに。
さらに、風呂から出てこないと、
沈んでるんじゃないかと心配で寝れないって

余計な心配してないで早く寝ろ!
って思いません?
こんなヘンテコ親子でしたが、
父との毎日はとても楽しかったです。
五十嵐先生がお母様に、わたしの父のことを
頼んでくださったので、鬼に金棒。
わたしはしっかり、父を送って
あげようと思います。
ご心配いただきありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。