前回のブログを書いた翌日の、3月2日。
父はとても調子が悪そうでした。
抗がん剤の影響による手足のしびれで、ヨタヨタと歩くようになってしまって早半年以上。
その姿にようやく少し慣れてきたところでしたが、この日はそれすら覚束ない。
今まで通院するときは、わたしがクルマをエレベーターホールの脇に着けて。
父はマンションの通路の手すりに支えられながら、ひとりでエレベーターまで歩き、1階まで降りてクルマを待っててくれました。
でもこの日は、ひとりではとても歩かせられず。
わたしが部屋まで迎えに行き、一緒にクルマまでゆっくり歩きました。
自分が父を支えて歩く日が来るなんて。
すでにここで、ショックを受けていました。
この日は、初めて緩和ケアの主治医の先生との面談でした。
治療方針などを相談し、翌日からの入院の手続きをしてもらって、父と帰宅する予定でした。
先生から今までの経緯を聞かれ、理路整然と答える父。
いつ頃から、どんな症状が出ていたか、はっきり覚えていて、わかりやすくしっかり話す姿を見て、涙ぐまずにはいられませんでした。
「とにかく娘たちには迷惑をかけたくない、シモの始末までさせたくない」
これだけは、父は絶対に譲れないようでした。
祖父(父の父親)が、10年以上も叔母に苦労をかけてしまっていたので、絶対にそうはなりたくないとのこと。
そして、手足が満足に動かず、何もできない、どこにも行けない状態で、長生きしても仕方ないとまで言う。
主治医は女性の先生で、そんな父に驚きながらも、親身になって話を聞いてくれました。
そして、つらそうな父の様子を見て、
「わざわざ明日また入院しに来られるのは大変でしょう?
このまま入院されますか?」と。
父はその申し出を聞いて、すごくホッとした顔をしていましたが、動揺したのはわたし。
「今日は入院する予定じゃないじゃん、何も支度してないよ?」
「何の用意もないし、今日は帰ろうよ」
ボロボロ泣きながら訴えました。
入院前の最後の夕ごはんを一緒に食べようよ
にゃんこたちに、ちゃんとあいさつしてあげなきゃかわいそうだよ
そんなことばかり考えてしまいました、父は痛みと不安で大変だというのに。
このまま帰宅しても、自力で歩けそうにない、筋肉の痛みが強いからつらい
入院できるものならしたい、と父に言われてしまい。
妹にも、荷物はゆみが持ってくりゃいいじゃん、入院させてやろうよと言われ。
入院させてもらったほうが安心なのは、わたしだって百も承知だったけど気持ちがついていけず。
ボロボロボロボロ泣いてたみたいです。
(あんま覚えてなくて、あとで妹に言われた)
で、そんなわたしを見て、先生や看護師さんたちがみんな一緒に泣いてくれていたようです。
(これも覚えてない)
このことを聞いて、安心して父を任せようと思うことができました。
わたしひとりで、父の荷物を取りに帰宅。
途中、前が見えないくらいクルマの中でひとりで大泣きしながら運転しました。
事故らなくてよかった(笑)
マスクがびっちょびちょだった(笑)
入院後すぐに痛み止めや、麻痺の進行を抑える点滴を入れてもらって。
ここ一週間ほど、暗かった父の表情が、とても明るくなっていました。
痛みが取れたこと、無事入院できたこと、ここにいればわたしや妹の迷惑になることはないという安心感
そんな諸々が、父の顔を晴れやかにしてくれたのかなと思っています。
予定外に1日早くひとり暮らしが始まってしまいました。
そして、わたしの現実逃避の場所であるLAVAが、休業することになったのもこの日でした。
でも休業でよかったと思います。
営業してたら行きたくなってしまうし、正直LAVAの会員さんの中には体調がイマイチでも来ちゃう人も居そうだし。
LAVAがクラスター感染の場になったり、仲良しの先生やお友達が感染してしまったりする前にお休みになってよかったです。
再開後のことをワイワイ問い合わせるのも、今はやめましょうよ。
みんな初めてのことなんだから、どうすればいいのかなんてわかんないし。
何よりLAVAとかヨガのことを考えられるだけでも、とっても幸せなことだと思うから。
その翌日。
わたしと妹だけが主治医に呼ばれ、父の現状を聞かせてもらいました。
抗がん剤を打ち切ってまだそれほど時間も経っていないのに、進行がとても速いそうです。
このままだとあと1~2ヶ月くらいとのことでした。
顔色もいいし、入院したことで明るさも取り戻してくれたし、まさかそんなに短いなんて。
この日もわたしは大号泣でしたが、泣くだけ泣いたらちょっとスッキリしました。
こんなことになって悔しいし、悲しいし、残念だけど、父自身はわたしよりずっとそう思っているはず。
元気な頃から、寝たきりになってまで長生きなんかしたくないというのが、父の口癖でした。
なのに、動けなくなるまで治療を頑張ってくれたり、どこにも行けなくてつまらない毎日になっても、文句も言わずに仕事やLAVAから帰ってくるわたしを迎えてくれたり。
それは全部、わたしが父が居なくなることを受け入れられるようになるまで、時間を作ってくれていたように思えてならないのです。
そうは言っても、今まで医師の予想を悉く覆してきた父。
あっさり1ヶ月で亡くなるなんて、わたしはハナから思っていません。
だけど、もしもそうなったとしても後悔しないよう、父にこれ以上心配をかけないように生活していかないとなって思っています。
父は今、リハビリをして、一時帰宅を目指しています。
にゃんこたちが、前回の入院時同様、父が帰ってこないことを不審に思っているし、淋しがってすごく泣くんです。
もう一度、大きな手で撫でてあげるために帰ってきてもらわないとです。