自己紹介します☺️

海智裕子かいちゆうこ46歳です✨

10歳〜4年間で転校6回。

20代で2回離婚。母子家庭17年目。引っ越し30回。パパ違いの息子2人。2人とも成人。

30歳から事業主。

本当は、カウンセラーになりたかったがエネルギーさがり、コーチングに切り替えた途端エネルギー上がり、色々を手放せした事で人生がかなり変化し進化している。


選ばれる自分じゃなく、自ら選ぶ自分になる。

いつも頑張ってる方に届いて欲しい。

脳の仕組みを知り、感情を大切にしながら、もう頑張らなく良いって事を知って欲しいです。




『暴露。家族との奇跡と覚悟のきっかけ』

実は次男は22歳。持病あり精神障害1級です。

半年前まで引きこもりでした。

実は、お陰様で
昨日一緒に職安へ行ってきたんです。

「仕事がしたい」

1年半ぶりに、息子自身の口から出たその言葉。

この奇跡は、昨年の冬至から始まりました。

「母親として」の前に
「ひとりの人間」として、
「100%味方、あなたはすごい」

という在り方を、
私自身意識できたからだと感じています。

我が家は、母子家庭になって17年目。
3年前からは各自一人暮らしをして生活しています。

病気を持っていても、自立できるように。
私が死んでも、困らないように。

そう願ってきました。
子供たちには、私以外に頼れる肉親がいないに等しいからです。

私の母もまた、私が生まれる前から精神疾患を繰り返し、
精神科入院という形で、
閉じ込められてきたりもしました。

…物心ついた時から母の悲痛な言葉を受け止めるのは、私の役目でした。
本当は耳を塞ぎたい程、すごく嫌だった。
辛かったけど、いつもちゃんと聴いていた。

10歳の時両親は離婚し、
私はずっと
「母のために」という思いを原動力に、
母を守ってきたつもりでした。

けれど6年前、母がアルツハイマーを発症。
母が安心して暮らせる家を探していた矢先でした。

もう何度目だろう。
良くなっては、繰り返し、拒絶されてきています。

幼い頃から、母が何かに「憑依」される姿を見てきた私は、
幼いながらもこの世界には色んな次元があることを肌で理解していました。

だからこそ。

自分の感じる能力に蓋をしてきました。
相手の考えている事や気持ちが分かり過ぎて、辛かったからです。
色んな事実を、見て見ないふりをしてきました。

けど、母を幸せにしたいから、母のお母さんにはなってあげられないから、カウンセラーになりたいと思っていた。

両親の離婚をきっかけに、4年生から始まった転校は3年間で6回。

母がぱぱと離婚して1年後。
母は自殺未遂をしていた。
そして、また精神科へ。
その後
母がスピード婚をした。
それもまた、異変だった。

「相談したかったのに。」
警察官ってだけで信用したら、
無理やりベッドに連れていかれ奪われらしい。
母は私に、性の話もしていた。


義理の父になった警察官は、
順調に出世するタイプ。

本当は、仮面を被った悪魔だった。

日常の暴力、柔道技で母を投げ飛ばしていた。

言葉も恐ろしかった。

きっかけは、母の言葉の語尾が気に入らない、だとか。
自分にお金があるくせに母から全ての貯金を奪い、
マージャンと女遊び三昧。
母からほの殆どを聞いていた。
休みが多いからね。
あの時は、警察官舎に住んでいたから
エアコンのない時代の夏、窓は全開。
近所中に響く義理父の怒鳴り声とアパートが揺れる振動。
お隣さん達は、気付かないはずがない環境。
隠蔽工作は
彼らの得意分野。

上品で古風な母はいつも、アザだらけだった。
庇った私も投げ飛ばされた。

母に何度も
「離婚して欲しい」
と言っても、
「あなた達が帰ってくる場所がなくなるから」
と、耐えるだけの母。

分かってもらえないのが、とても悲しかった。
思春期は、かなりの自暴自棄。
辛くて寂しく苦しくて、20歳になる前に死んでしまいたかった。
キレイな子供のうちに。
汚い大人の世界で生きたいとは思えなかった。

しかし、20歳で長男ができて、
生きてる命を感じ、
生きる希望ができて。

この時、私の内側でかなりの変化が起きた。

"汚れた汚い大人"に、私は絶対にならない。
"私はなりたい大人になる"

って、決めたんだ。

20代で2回離婚。
父親違いの息子達。
どちらからも養育費はなく、朝から深夜まで働き
10年間、4時間睡眠の日々だった。

小学校に行けなくなった子供たち。

その後、母も、離婚した。
その頃まで、母は自殺未遂を繰り返していた。

だからこそ、私は。
鬱にもならなかった。
誰にも頼れなかった。

次男が中学の時の担任には
「あの子は、世の中を舐めてる」

病院の主治医には
「性格は、病気とは関係ない」

相談できる人が居なかった。
何度も相談窓口にも電話したり出向いたけど、
結局はなんの解決にも繋がらなかった。

お父さんいない代わりに
長男は気を使ってくれたり、
大変だったし、寂しかったと思う。
色々我慢させてしまったこと、本当に反省ばかりです。

母がまだ、アルツハイマー初期症状だと分からなかったとき、
「私が苦労して貯めた96万円今すぐ返しなさい…さもないと死んだら呪ってやる」
普段は穏やかな母の、恐ろしい顔。
その突然変異は流石に恐怖だった。

あの時、一緒に暮らす家を建てる計画をして土地を探していたんです。

母に完全に拒絶されました。
一方では同時期に上司にモラハラされまくってた。

大きくなった次男は、発作が頻度になり
風呂場でも起こす全身痙攣。
硬直した次男を、1人でおんぶして運んだ。

よく生きてきたなぁ、って自分のことを思います。

自分自身の寂しさと辛さを埋めるものは誤魔化ししかなかった。
でも、そうやって、なんとか生きてた。

でも流石に、この時は落ちていきました。
その感覚の恐怖があって、なにかにすがりたかった。

けど、そんな大変な事態を表に出さない私に、
当時のバイト先のママから
ミセスコンテストに出なさいと言われた。

それが自己啓発のきっかけになった。

けど1番重要な"笑顔"が、作り笑いしかどうしても出来なくて、"本当の笑顔は人生の課題"だと感じました。

そしたら、その直後に、突然変異したみたいな知人がやってきて、教えてくれた研修。
自己投資するお金なんてどこにも無かった。
"死ぬ以外はかすり傷"
まさに、そんな感覚だった。

自己開発と心理学の学びの始まりでした。

お陰様で、
それでも諦めず、
奇跡的に母を病院に連れて行くことが出来ました。

ウォーキングコンテストも、日本大会行きました。

色んな心理学を学び、資格もとりました。
またおかしな事が起こるかのように、
卒業した自己開発先の憧れのスタッフにならない?と声をかけてもらいました。

嬉しかった。。

しかし、違和感と精神的苦痛があった。
身体を壊した。

"心身一如"という言葉は
あまりにも素直な細胞で出来てる私には、反論の余地なし、だった。

"覚悟"を決めた。
コーチをつけて、カウンセリングメインのライフコーチとして起業。
しかし、また違和感が起こった。
どれだけ学んでも、資格をとっても、心理学の違和感、過去の記憶、消えない感情の限界を感じた矢先に、また倒れた。

そんな中、アートシフト(仙道さん)がSNSで流れてきた。
感じていた違和感は間違いなかった。
全ての点が繋がった瞬間だった。

そして『覚悟』とは、覚めて悟る。
この言葉の本当の意味。
漢字そのままなのに、なぜ気付けなかったんだろう。

これが、本当に求めていた奇跡の始まりでした。

「未来からの贈り物ワーク」で、私は確信したのです。