こんにちは、たまはなです。
私のことを小学校高学年くらいからお話しさせていただこうと思います。
私の地元は京都なのですが、わりと田舎な場所で生まれ育ちました。
小学校は校区内の公立学校で、それなりに“荒れて”ました。3年生の頃には学級崩壊もありました。
そんな中、中学進学が近づきますが地元の中学校は本当に良くない話や事件に近いものなどたくさんの悪い出来事、噂が多くて正直行きたくはありませんでした。
小学校5年生になったとき、母は私に中学受験を提案してきました。まだスマホを持っていなかった私は自分で調べる術もなく、とりあえず地元の中学に行きたくないという気持ち一心で塾に入りました。
私は上昇志向が強く、その頃には外交官を志していたので難関校志望でした。ただ5年生で中学受験の準備を始めるのは遅い方です。それを母は知っていながら3年生や4年生の時ではなく、5年生になってから私に言ってきたのです。
入りたい学校が見つかっても両親のどちらからにはダメと言われ、結局母が見つけた学校に受験することに決めました。それなりに私も気に入っていたので後悔はしていません。
でも偏差値がかなり高く、また塾もいい加減な個人塾だったため先に先に勉強しても模試では散々な点数をとってばかりでした。
その塾では小学生を筆頭に中学生も含む子供たちが常に騒いでいたのを記憶しています。母子共にあまり乗り気でなかったその塾になぜか母は私を入塾させました。
そして、授業にならない授業を受ける日々に嫌気がさして転塾しました。そこは関西ではそれなりに規模が大きい塾です。
そこからは必死で勉強しました。私の学習はかなり遅れていたのです。自分で塾の授業の予習や参考書で独学していたにも関わらず、難関中学校受験のスタート地点にすら立てていなかったのです。
衝撃が大きかったですが、そんなことにうろたえている時間はありません。ひたすら遅れを取り戻すために同系列の個別指導塾と集団塾をはしごしていました。
そうして模試で全国順位一桁台に入ることもできましたが、本番は甘くはありませんでした。
第一志望、第二志望ともに不合格だったのです。第三志望で受験した母の地元の石川県にある学校だけ唯一受かりました。正直、偏差値は高くないです。
でも地元の中学校にはどうしても行きたくなかったので、母とともに引越しました。父だけ京都に残っています。
そこからが悪魔の始まりでした。