皆さん、こんばんは。ゆうです!
今日は二回目のブログ投稿ということで、今回の内容は
通訳ボランティアを始めたきっかけ
を書きたいと思います。
Twitterで私を知った方はご存じだとは思いますが、私は広島平和記念公園で通訳ガイドボランティアをしています。
振り返ってみればこの活動は高校二年生から始めました。
なぜこの活動を始めたのか、と思う方は多いと思います。
実際私がこの通訳ボランティアを始めたきっかけというのは高校二年生に行ったニュージーランドの姉妹校訪問「短期留学」です。
なぜ私が姉妹校訪問をしようと思ったかはまた今度書きたいと思います!笑
この短期留学から私の人生は大きく変わりました(大げさかな…)
私がニュージーランドに行ったのは高校二年生の11月でした。
実は私、短期留学に行くまでは医療系の進路を目指していました。
しかし、短期留学を終え、より深く海外の人の考え方、価値観に興味を持ちました。
まぁ、これがきっかけで高校三年生の4月に「医療系」から「国際系」に進路を大幅に変えることになったんですけど…![]()
帰国後、より多くの外国人と話したい、意見を聞きたい、と思うようになりました。
いろいろと調べた結果、広島で育ったということもあったので
広島平和記念公園
での通訳ボランティアだったわけです。
実際、広島平和記念公園には毎日多くの外国人が訪問しています。
その中で漢字の「広島」ではなくカタカナの「ヒロシマ」を伝える活動をしたいと思いました。
しかし最初は勿論何から話していいのかすら分からず、ただ突っ立ている日もありました。
私が何もできないという無力さを痛感しているときに新聞でとある記事を見ました。
それは広島市のやっている
通訳ガイド養成講座
でした。
これを受けたらもっと話せるようになれるかな、これしか考えていませんでした。
何も考えず応募し、会場に向かうとそこには衝撃の世界が広がっていました…
そうなんです、講座に参加していたのは大人か広島市在住の外国人しかいなかったのです…
高校三年生手前のガキが簡単な理由で来る場所ではなかったんです。
その光景は今でも覚えています。
後頭部を金属バットでぶん殴られたような衝撃でした。
そこからは本当に大変でした。
講座内容についてくのは勿論、圧倒的に足りない語彙力補給等、全てにおいて対策をしなければならなかったのです。
毎日英語を勉強することに加え、原子爆弾投下についての知識も頭に入れなければなりません。
そんな激動の二週間が終わり、何とか簡単な内容は英語で説明できるようになりました。
しかし、実際に外国人に正確な情報を伝えれるかというと、そうではありません。
いきなり外国人に話してもただ困らすだけだ、と思い、最初は観光できた日本人観光客を相手に説明できるようにしました。
この方法が功を制し、説明の手順など確認することができました。
ガイドを始めて三週間、ついに外国人相手にガイドをすることを決めました。
一通りのガイドが終わり、反省点をノートに書き、次のガイドに生かす。
私ができるのはこの繰り返しです。
そんなことを続けているとあっという間に86の日が来ました。
何気なくツイートしたものが大いにバズり
いいねが20万以上、リツイートが7万以上
を記録しました。
何より私が驚いたのはこのツイートの反響です。
このツイートが英語化され、世界中に拡散されました。
この流れに私は本当に感激しました。
私と同じ考えに人がこの世界にこんだけいる。
ただそれだけでした。
これがきっかけでカタカナのヒロシマを知っていただける人も増えたと思います。
私は大学進学後もこのまま活動を続けていきます。
世界から争いが消えることを願って…
最後まで読んでくださいまして、本当にありがとうございました!
それでは次回の更新で会いましょう。それでは~![]()