12年前に捨てたものがある





それは何か?





の前に、少しお話しを聞いてほしい







最近インスタでよく見かける
ショートムービーがある



集団で奇抜なポーズを取り
リズムに合わせて
少しずつ前進していくという



まるでメッセージ性の分からない
趣のある動画
(素晴らしいアートだと思う)


こんな
普段はやらないような奇抜な行為を
難なくこなしてしまうその心理は
どこからやってくるのだろうか?









「人前で服は脱げる?」
例えばそう聞かれたとして
NOと答える人が
ほとんどではないだろうか?



でも人前で平気で服を脱いでしまう
シチュエーションがある



夏場の海もしくはプールだ



「水着で街中を歩いて!」
は無理な注文でも


「水着で砂浜を歩いて!」
は、どうやら注文の範囲内らしい









その行為の心理はどこからやってくるのか?




答えは
【みんなやっているから安心】
という心理



みんなも一緒だということ
同じことをしているということ


それらが与えてくれる恩恵は
計り知れない


人は人と関わり合って生きているのは
確かな事実


でも、いやだからこそ


その心理が時として仇となる事もある










12年前に僕が捨てたもの





それは




【多数派心理】










広島と長崎に原爆が落とされるまで


日本国民は「天皇陛下バンザーイ」
と叫んでいた


戦争反対!など言おうものなら


【非国民】とレッテルを貼られていた





今では戦争反対!が
スタンダードな考え方だ







羊の集団の構造の話も面白い
羊は前の羊についていく
前の羊もまたその前の羊についていっている
では、先頭の羊は何を目指しているのか?



実は、何も目指してないのだ


ただ走っているだけ







これぞまさに
多数派心理が招く弊害ではないだろうか?




ただ周りと歩幅を合わせて走っているだけで
【なんの意図もない】のだ



これを聞いてドキッとする日本人は
少なくないはず










僕は12年前に多数派心理を捨てた



それによって
水を得た魚のように生きやすくなった



多数派心理を捨てるという事は
多数派を否定するということではない



多数派が正解でもなければ
多数派が不正解でもない
少数派が正解でなければ
少数派が不正解でもない



物事をフラットな目線で視て
【自分で力強く選ぶ】
という事だ






一世を風靡した芸能人やアイドルが数年後
悪い意味で変貌を遂げ、ニュースになる
なんて事はよくある話



どの道が正解?
どの選択が正しい?
だなんて



生きているうちに分かりっこない



【歴史が正当に評価されるのは100年後】
と言われている



つまり、この時代を生きている僕らに
この時代を正当に評価する術はないのだ



正解のない人生を歩んでいくわけだから
正解を探していたところでただの無理ゲー
だという事を理解しておくと
生きやすくなると体感した








テラスハウスという番組で
印象的なシーンがあった



とある芸人コンビが解散の危機に陥ったとき
バイト先のおっちゃんに相談をした時の話


(解散しようと言われて)
「俺だったら説得して止めようとは思わないな。人間って、結局のところ最後は一人だからね。」
おっちゃんはそう答えた。



結局のところは一人。



この言葉はストンと腹の奥に入ってきた



誰かといると安心できる
逆にそれが
自分を見失う要因にもなり得る








正解のない人生を、生きている


その中で唯一正解を見つけるとしたら


自分が【これでよかったと信じる事】
くらいしかない








心優しくアドバイスをくれる人がいる
あなたのためと、なんでもかんでも
世話を焼きたがる人もいる



でも冷静になって考えてみて欲しい



その人たちは、
あなたの人生の責任を負うわけじゃない

あなたの人生の責任を負うのは
他でもないあなただけ



【本当に大事なことは相談しない方が良い】



何かの本に書いてあった


まさにその通りだ







個の時代に突入している
事実かどうかはさておき
少なくともそう感じるケースは
日に日に増している




個の時代の到来は


自由にしていいんだ!!
個性を解放していいんだ!


と、楽観的な見方もできますが


【個性のない人は取り残される】
という過酷な時代でもあると感じる






意志あるところに道は拓ける



という言葉も、裏を返せば



意志がなければ道は拓けない



ということにもなる







明確な意志を持とう
志を高く持とう



そんな想いから僕は



【CUORE ALTA】クオーレアルタ
という屋号をつけた
*イタリア語で、志高く という意味









「意志なんてない、志なんて持てない」
そう思う人もいるかもしれない


でもそれは勘違い


人はみんな本来オリジナルな欲があり
生粋な意志を持ち合わせている


ただ忘れているだけ







多数派心理を捨ててみよう
みんなと同じで安心するのは
自分の考えを放棄することになる



自分で考えた結果
みんなと同じになった
これならgood job



正解なんて必要ない
あなたが何を信じて
何を選ぶかだけ



使い古されて
時にはチープにも聞こえる言葉を



あえて最後に添えて締めくくるとしましょう







自分を信じよう







脳内美人コーチゆうじん 
CUORE ALTA