お祈りとニワトリのおかげでジャカルタの朝は目覚ましいらずです。
明日からラマダン(断食)がはじまるからなのか
住居の外は大雨にも関わらずお祈りの声が絶えません。
まだ、ただの叫び声にしか聞こえませんが帰国するころには
早朝目覚ましよりも早く聞こえてくる叫び声も
一つ一つが意味を持ってくると思うと感慨深くなります。
コミュ二ケーションについて思うことを書きます。
巷で騒がれているコミュ障とかはあまり関係ありません。
言語が何であれ、たとえそれが言語でなくとも意思疎通ができれば
その場においてコミュ二ケーションは成立していると思います。
インドにいるとき、英語がうまく通じなくてもサッカーやお酒があれば
たくさんの人と考えを共有し、意思疎通ができていました。
バックパッカーをしてるときにも、英語がほとんど話せないのに
現地の人たちと超仲良くなってる人をよく見かけました。
国際会議で踊っててもできました。ダンスはできなかったけど・・・。
その集団が共通認識をとれる「何か」と
互いが理解しようとする「姿勢」さえあれば
言葉は違えども(もちろん話せるにこしたことはないが)
コミュ二ケーションは十分に成立すると思います。
インドネシア人も含め、いろんな国の人と関わる中で
強く感じるのが日本人は後者の理解しようとする
「姿勢」が足りないのかなということです。
他の国の人、特にこどもたちは
話そう、理解しようとする姿勢がとても高く積極的なので
言語の習得も早いです。
かたや、英語を言い訳に
そもそも話そう、理解しようとする姿勢自体がない人を
日本でよく見かけます。
別に英語できなくても
この姿勢だけは捨ててほしくないと切に思います。
あまり共感できない人は一度
海外やなくてもいいので自分の言語が全く通じない
コミュニティに身をおけばわかります。
自分がしてたことが知らず知らずのうちに
他者に負荷をかけてたことを
日本語全くわからない外国人の子が
いる中で日本語使って笑ってるだけで
その子がどんな思いをしてるのかを
いま一度考えてほしいと思います。
*きょうのごはん

きょうのごはんはなしです。
ごはん抜きというわけではありません。
インドネシア語でなしはごはんを指します。
というわけで、日本でもおなじみナシゴレンでした。
テリマカシ
明日からラマダン(断食)がはじまるからなのか
住居の外は大雨にも関わらずお祈りの声が絶えません。
まだ、ただの叫び声にしか聞こえませんが帰国するころには
早朝目覚ましよりも早く聞こえてくる叫び声も
一つ一つが意味を持ってくると思うと感慨深くなります。
コミュ二ケーションについて思うことを書きます。
巷で騒がれているコミュ障とかはあまり関係ありません。
言語が何であれ、たとえそれが言語でなくとも意思疎通ができれば
その場においてコミュ二ケーションは成立していると思います。
インドにいるとき、英語がうまく通じなくてもサッカーやお酒があれば
たくさんの人と考えを共有し、意思疎通ができていました。
バックパッカーをしてるときにも、英語がほとんど話せないのに
現地の人たちと超仲良くなってる人をよく見かけました。
国際会議で踊っててもできました。ダンスはできなかったけど・・・。
その集団が共通認識をとれる「何か」と
互いが理解しようとする「姿勢」さえあれば
言葉は違えども(もちろん話せるにこしたことはないが)
コミュ二ケーションは十分に成立すると思います。
インドネシア人も含め、いろんな国の人と関わる中で
強く感じるのが日本人は後者の理解しようとする
「姿勢」が足りないのかなということです。
他の国の人、特にこどもたちは
話そう、理解しようとする姿勢がとても高く積極的なので
言語の習得も早いです。
かたや、英語を言い訳に
そもそも話そう、理解しようとする姿勢自体がない人を
日本でよく見かけます。
別に英語できなくても
この姿勢だけは捨ててほしくないと切に思います。
あまり共感できない人は一度
海外やなくてもいいので自分の言語が全く通じない
コミュニティに身をおけばわかります。
自分がしてたことが知らず知らずのうちに
他者に負荷をかけてたことを
日本語全くわからない外国人の子が
いる中で日本語使って笑ってるだけで
その子がどんな思いをしてるのかを
いま一度考えてほしいと思います。
*きょうのごはん

きょうのごはんはなしです。
ごはん抜きというわけではありません。
インドネシア語でなしはごはんを指します。
というわけで、日本でもおなじみナシゴレンでした。
テリマカシ
