もう7月ですね。
ご無沙汰してます。

最近は紫陽花の見頃な鎌倉に行ったりしましたが、
機会を改めて。


松本復興相の辞任が最近の政治のホットな話題でしょうか。

地方自治体を欺くような対応をとって批判されていますが。

被災地に対しての態度から言えば、お粗末なのは改めて申すことではないですね。

今回、敢えて被災地と地方自治体を切り離して考えてみます。


村井宮城県知事は「国と地方は対等なのだから」と発言しましたが、
果たしてそうなのか。


憲法に地方自治体に関する条文がありますが、
国と対等である旨ではない。

わざわざ憲法を引き出さずとも、
三権の下部組織に地方公共団体を置く、というのが
前提ではないのだろうか。


日本は連邦制でも連合国でもない。
中央集権型の統治機構です。
イギリスをモデルに出来たのは中央の統治機構「のみ」であって、
地方自治に関してはイギリスをモデルにすることは出来なかった「はず」。

イギリスはスコットランド、ウェールズ、イングランド、北アイルランドと
小国を皇室制度という象徴的威厳でもって結び合わせた「連合国」。
アメリカは州自治体からスタートし連邦制が形成されていった「連邦国」。

日本は、明治時代から中央集権型国家として全国を統制し、
その構造は新憲法下でも変化は少なかった。

歴史が違うのです。全く。


だから、民主党が目指すイギリス型の中央-地方関係に改めるには、
憲法改正が必要だと思います。

まずもって、「地域主権」という言葉自体が誤りです。
主権は国家に帰属する訳ですから。
国家とは無論中央政府を意味します。

こういう、中学生レベルの間違いを平然と提示していることが、
眉唾加減を大きくしている気がしてならないのですが(笑)


さて、地方は国より下等で良いのか。
すごくお叱りをうけそうですが、
それで良いのではないのでしょうか。率直に。


権限を中央から地方に移行する、ということは、
同時に責任も移行するということです。


要するに、財政の責任を地方自治体が取らねばならない。
総じて財政難の地方自治体が、夕張市のように破綻したときに、
国が責任をとる領分は減るということです。
歳入確保は経済状況に大きく左右されます。


所謂地方の雇用を考えれば、自治体自ら歳入を確保するのは
大変困難なのは想像に難くないはずです。


そして「地方自治体は民主主義の学校である」と言われてきました。
「学校」、つまりある程度の失敗が許され、
反省しながら改善していく場、の意ですね。

だから条例の作成、執行機能はあるがその範囲は各自治体内であり、
「法律に反しない限りで」有効である訳です。

昨今話題の自治体…何とか維新の会とか減税なんちゃらとか、
全くのポピュリズムではないでしょうか。
あの、およそ質の高いとは言えない政治が、
君が代強制などという条例を作り上げたところで、
それが自治体だから許されるところがある訳です。
まだまだ発展段階の「学校」ということで。

ところが権限を拡大させ、条例の重要度が増したら、
自治体内に権威主義的な政治が蔓延する可能性があることになります。

こうした危惧を案じています。



では、地方議員らの改革は無意味なのか。
決してそうは申しません。

一昔前の地方(特に田舎)の議院といえば、
地方名士の名誉職的傾向と
国政政党の系列(いわば集票マシーン)という存在で、
地方自治そのものに関心がある議員がどれほどいたのか疑問です。


批判を恐れずに言えば、
普段は農家の「議員力」のおよそあるとは思えない人たちの
「副業」的な側面が強かったことは否めません。


ところが、「平成の大合併」で中央から「切り捨てられた」ことで、
自分達の政治についての意識が高まる、
言い換えればその時点でようやく「尻に火がついた」訳ですね。


あからさまな無駄を改める、
行政サービスの質向上、
NPOなどとの連携を深める、
介護制度についての盛んな議論、

こうした現行で取り組むべき課題はたくさんあるし、
事実前進しつつあります。

地方自治体の首長さん、議員さん達は、
こうした政策を全うするだけで目一杯ではないでしょうか。
その上で権限委譲が必要ならば、
その段階でようやく権限委譲を検討すべき、その様に思います。
久しぶりの更新です。
あまり遠出しなかったのと予習が詰まっていたので…


義援金が配られはじめていますが。
現金支給で良いのかどうか、書いていきます。

まず、この短期間で支給額を決めるのはどうなんでしょう。
その基準を定めるのにはもっと時間をかけるべきではないのでしょうか。

無論、直ぐにでも必要なのは承知の上ですが、
復興に必要な額は20兆円を上回る見込みです。

台湾が1000億とか、ソフトバンクの社長の報酬とか、

寄付の限界です。
税金徴収を寄付制度に置き換える議論を展開する人もいますが、
構造的不平等を覆すのは困難でしょう。

換言すれば、語弊を恐れずに言えば、「寄付では足りるわけがない」。


よってその限られた義援金を現金で配ることの効果がどれほどのものか疑問です。


だから、現物での配分を考慮すべきではなかったのでしょうか。

インフラの(これもかなり限定的になると思いますが)整備に充てる、
震災によって失業した方への就職支援など、

寄付した人の「善意」を効果的なサービスに「転換」する政策を遂行する余地はなかったのか。


義援金によってハード面の復興が促進されるとか、
そういう規模ではないですし、
家族や住居や職を失った人に対して、
長期的な局面から役に立つことができる配分が必要だと思います。
今日の内閣不信任案否決についてです。

13時頃からずっと本会議の中継を見てました。


内閣不信任案が可決されると、
内閣総辞職か衆議院の解散のどちらかを実行しなければならない。

そこで問題点が2つ。

まず、よく指摘されている解散総選挙に踏み切った場合、
被災地は選挙を実施できるのかということです。
4月の地方選もできなかったし、多分できるわけなかったでしょう。

こうした選挙の有効性が疑問であるはずなのに、
不信任案をつきつけることに大きな疑問が生じますね。



2つめの内閣総辞職ですが、
おそらく民主党内の不信任案可決派や
自公はこちらを狙っていたと思います。


3.11以降、言わば緊急事態であるわけですから、
与党・政府に対しての信任ないし不信任というよりは、
国のトップの行政の継続ないし不継続と考えるべきではないでしょうか。


言い換えれば、与野党問わず復興という至上命題は所与のものとしてあるわけです。
復興に向けての政府の政策実施→内閣による行政、

すなわちこれに対しての不信任ということは、
ありえないということになりますよね。




小沢一郎に対して批判的な人達(特に、93年以降に仲違いした人)の
理由を、以前から拝見してましたが、
ようやく同意しました。

政界の動向次第では、自分が中心になって実現した、
2009年の総選挙勝利の体制を平気で壊すのも辞さない訳ですからね。



とにかく、野党も「反菅派」も、
たくさん復興政策に対しての提案や批判をして、
議会制民主主義の良識を守り、質を高めてほしいと思います。