ドイツの社会学者のニクラス・ルーマンは、社会をシステムとした理論を唱えた人物です。
その中に、複雑性の縮減という言葉があります
例えば、自分がコンビニで買い物する時、お金で物を買うことができます。
この時、時計と交換しようと店員に行っても、交換してくれないでしょう。
このように経済は「お金」でしか交換ができません。コミュニケーションの手段が決まってくるのです。
「愛」は親密性の中での手段とされています。
家族は愛によって支えられている? お金もあるんじゃないか...
ルーマンは「貨幣(お金)」と「愛」の比較をしています。
貨幣は、経済の中でかなり強い力を持っています。コンビニなどはお金でないといけません。
しかし愛は、親密性に必要なのですが、他の手段であっても良いとされています。
現に、収入がいいから結婚したという夫婦は多いです。
私が考えたのは、ここからです。
前々から「恋」と「愛」の違いは何だろうと思ってました。
この社会システム論でルーマンは恋と愛の言及していないのですが、
この論には「他者」「他人」がいないといけないのかなと思いました。
「恋」は「恋する」というが、「恋される」とはつかわない
「愛」は「愛する」、「愛される」両方とも使う。
この考えを導いたときに、中学の英語の授業を思い出しました。
「受け身形になれる動詞は、他動詞だ」と。
恋する→自動詞・・・1人のこと 「僕はA子に恋する」
愛する→他動詞・・・1人~多数 「僕はA子を愛する」 「この歌は世界中で愛されている」
このように分けることができ、恋は個人のことなので、社会学でなく心理学などになるのかなと思います。
愛は個人、集団があるので、社会の現象として研究ができているのかもしれません。
因みに英語では両者とも「LOVE」が使われることが多いらしいです(調べ不足かもしれません...)
このような言語の違いで恋と愛を見るのも楽しいと思います。
恋と愛のことに関して、補足等あればコメントよろしくお願いします。