ふと、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われることがある。

仕事帰りの電車の中や、日曜の夜。

「定年まで、あと1年しかない」

そう数えてしまった瞬間、胸の奥がざわざわと波立つ。

会社の名刺がなくなった自分に、何が残るのだろう。 このまま終わっていいのだろうか。

そんな「崖っぷち」のような焦りの中にいた私を救ってくれたのは、 退職金の計算でも、再就職先の検索でもなかった。

ただ、「朝の1時間」を持つこと。それだけだった。


私が朝の習慣を始めたのは、いわゆる「意識高い系」を目指したからではない。

正直に言えば、逃げたかったのだ。 夜、布団の中で膨らみ続ける将来への不安から。

逃げるようにして身体を起こし、まだ暗いリビングに立つ。

誰にも邪魔されない静けさに包まれると、 いつもより深く息が吸える気がした。

世の中が動き出す前の、この空白の時間だけは、 誰のものでもない、私だけのものだと思えた。


 

会社に行けば、自分のペースなどない。 役職定年、部下の視線、求められる成果。 流れに身を任せるだけで、一日のエネルギーを使い果たしてしまう。けれど、朝は違う。

仏前に手を合わせる。 お風呂のタイルを一枚ずつ磨く。 今日やるべきタスクを紙に書き出す。

自分で決めたことを、自分の手で動かす。

そんな小さな行動一つひとつが、 「自分はまだ、自分の人生をコントロールできる」 という確かな手触りを返してくれる。

トイレ掃除を終えて空気が変わるように、 心の焦りも、水と一緒に流れていくのがわかる。

「整える」とは、失いかけた自信を取り戻す儀式なのだと思う。


朝を味方につけてから、私の内側は少しずつ変わり始めた。

あれほど重かった出勤前の憂鬱が、すっと軽くなった。 朝の時間に「自分のための仕事」は済ませてあるから、 会社での時間は「役割」として割り切れるようになったのだと思う。

空いた頭で本を読み始め、新しい学びも増えた。 定年後の景色が、少しだけ明るく見えてきた。

「最近、顔つきが穏やかになったね」 家族にそう言われた時、ああ、これでいいんだと腑に落ちた。


50代 残り時間を数えて怯えるには、まだ早すぎる。

もし、あなたが今、 得体の知れない不安に押しつぶされそうなら。

まずは15分だけ、いつもより早く起きてみてほしい。

何かすごいことをしなくていい。 ただ、温かいコーヒーを丁寧に淹れて、その香りを吸い込むだけでいい。

一日の始まりを、自分の手で整える。

その積み重ねが、これからの人生の輪郭を、 ゆっくりと、でも確かに立ち上げてくれるはずだから。