魂と生きるスピリチュアルメッセンジャー☆かよ

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氣と瞑想で自分の魂と繋がり、スピリチュアルメッセージをお伝えしていきます
全ての答えは自分の魂にある!よろしくお願いします

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魂と繋がり魂と生きる

スピリチュアルメッセンジャーかよ です


残暑厳しい日々いかがお過ごしですか?


さて、前回ご紹介した祖父について

家族に宛てた手紙があるので

しっかり読んでみようと

昔の旧字や崩した文字を時間をかけて解読しました


あの戦争中、祖父がどんな生活をして、どんな事を思って過ごしていたのか……

色んな気持ちが伝わってくる手紙でした


特に子供達の事を非常に心配しておる姿が切なくなってしまいます


どうして祖父は死んでしまったのか?


どうして戦争になったのか?


子供の頃はよく考えたものです


私は祖父の事があり、人一倍あの戦争について思い入れがあるんですね


このブログを通してシェアをさせていただいて

その時期、その時代の課題が何だったのか?


そんな事も考えながら

あの時代の日本を感じでみようと思います



*********************

昭和18年5月1日
妻と小さい子供を残し、はるばる遠く離れてインドネシア領ボルネオ島へ出発していった祖父・榮

戦争が始まり2年目の春
日本軍は連合国の反撃を受けどんどん形成が悪くなっていた頃
どんな気持ちで祖父が海を越えて行ったのか?

家族に当てた葉書と手紙





第二信

五月ー日午前中に出航する

五月二十五日頃 到着するもよと思はれ度、

行く連中は大勢である

皆自分と同じ年配の者が多い

家族が九人あって 子供が五人もある人がある

皆氣持ちの良い人許り(ばかり)

各*から寄り集りだが 心が一つになるのか仲々面白く愉快な話はあらゆることに及びつきることがない

やはり何と言っても行く道中を皆氣にして居る事は事実だ

自分が割合その点では落ち着いて居てくそ度胸が出来たが不思議な位だ

向へ着くと海軍省から 宅の方へ 到着の通知を発して呉れることになって居るから電報は出さぬ

見送って貰った方には昨日礼状を出しておいた


大阪市西区靭北 旅館より 4/30消印あり





拝啓

これからいよいよ乗船し出航することになった

今後は通信がある程度不自由になると思うが、心配することはない

向ふへ着いたら電報が打てれば打つが何にせよ軍に頼んであるから任地到着通知が行くはづだ

躰の調子は満点 出来れば煙草を止めようと思ふ

一行の中には仲々用意周到なのが居て☆☆を持ったりフエを持ったりしたのが居る

まさかの時の用意らしい

自分は大阪で☆★食器お茶など買った

金は要らないから送金の必要はない

家の家根のトビは一年たって新しい縄を掛けてんで置くとよい

又、大工の方は早く頼んで置け

ボルネオには目下小包は送られない

身の上について分からないことは、南方

(切手を入れて★☆されたし)


大阪駅より 5/1消印 



第一信

日本一の豪華船に便乗し予定より後れはしたが

當(当)地第一の都会に到着し 旅装を解くことが出来たのでこの手紙を書きます

船の行動に就ては詳しく書くことが出来ないから推量して読んで下さい


海上は波静かで晴天が毎日続き 

これが平時だったら愉快な旅であったであろうが

毎日息づまる様は航海たった

船の待過は上等で食事寝息も申し分なく

一室四人の中には同郷人居たし 

又 一行は各○から集まって居い連中なので 

飛出す話題も数多かった


有名な戦跡や復兵の状態を見 

又 私の生涯を通じ最大な事件も遭過し

土産話の種は十分に出来た


山口県□◇からは六人一緒になったが

五人とは域地○で別れ

自分だけ任地で生活するわけだが南方要

夏は後から後から来るから 

島人曾を開くことの出来るのも

そう長い後ではあるまい

躰体は至って丈夫である

船中で二日下痢をしたが 今はすっかり快伏した

自分等はこの地に来て便に任地が定る迄合宿して居るのだが

長い間の疲労を快復するには

静かでほんとうによい所だ

船中にはラジオを聴き 又 ここでは新聞を読んで居るので内地の出来事は大体にして分かる

山本之師の國装を ここより 逢拝した


家のことは余り心配はしない

家のこともなるべく思いださぬ様につとめては居るが、子供達のことが一番心配になる

俺の分だけ可愛がって そして 叱ってやれ


こちらは暑くてやり切れぬ楊なことはない

今日など曇って居て 涼しく内地の秋と大差ない

ここには三十人許り(ばかり)合宿して居るが 

任地が確定すれば奥地にも仕掛けることになり淋しくなる

自分も話によると異動するかも知れぬ

内地で心配したお米は大体味に変わりなく

我々の口に合はぬことはない

洗濯物は下女が洗ってアイロン迄かけて呉れる


何も案じることはない

躰に氣を付けて病氣にならぬ様に努めて居る

そちらでも皆達者で暮らしなさい

子供等に淋しい思ひをさせるのが一番つらいが

今戦争最中であることを考えれば小我は棄てなくてはならぬ

子供によく言いつけて淋しい氣持ちを起こさず養育を頼む


こちはには、内地の雑誌が少ない

週報を毎月取り集めて送って呉れ

其の他の雑誌も二月に一度位送って呉れると幸せる

現在小包郵便も取扱はれる

(局では知らぬかもしれぬ)

近所の方は 皆達者かね

一々便りを差し上げる筈だが

も少し落ちついてからにするから

◇○待って下さい


こちらに成った現在でも内地に居た時の長い出張の様な氣持ちと一向に変わらない

こちらの土民は性質がをとなしい

子供たちは%°#$をしたり「今日ちは」と言って挨拶する

支那人は性が良くない様だ

商売に抜け目はない

色々書きたいこともあるが

とにかく到着して笹々に暮して居ることが分かれば一番良便りと思ふから この次にする


(昭和18年)六月○日



続く………