12月1日 最愛の妻と『 死別 』した
上記リメイク版の続きになる。

 

  1. ママを家に連れて帰る

  2. 葬儀屋への依頼見積もり

  3. 葬儀告別式(通夜・告別式)の日程について

  4. 12月2~3日のこと(弔問客対応・友人連絡・葬儀屋との打ち合わせ)

  5. 葬儀の準備・遺影の製作依頼

  6. 故人の正装・化粧

  7. 12月5日ママが家に『いる』最後の日
 

ママを家に連れて帰る

 

まずは、妻を自宅へ連れて帰ってあげなくてはならない。自宅の間取りを葬儀屋に説明したところ、安置する場所は自宅一階の和室がいいという。

これは葬儀までの間弔問に来る客のことを考えてのこと。また、頭が回らない私の代わりに親族が妻を寝かせるための布団一式を用意してくれるという。葬儀屋に妻を車に乗せてもらい、妻と共に自宅へ帰ることとなった。

病院を出発する前に担当医から死亡診断書を頂いた。医療費については後日精算という。出発する際は担当医と看護師の2名が深々と礼をして見送ってくれた。

救命救急医という職業には本当に頭が下がる。こうやって何度も何度も救えなかった患者の亡骸を見送るのだろう。

私がもしその立場なら、また救えなかったまた救えなかったと思うと気が狂ってしまうだろう。私今狂ってるし(2018年10月14日)

話は前後するが、職場の上司に連絡して妻は他界した旨を伝え、このまま忌引でしばらく休みを貰えることになった。

自宅へ向かう車中で、眠っているかのように横たわる妻に手を添え、妻に


「今日は疲れたよね。苦しかっただろう。家でゆっくり休んでね」

と声をかけた。もちろん妻から返事は返ってこない。どうしようもなく涙が出る。ただただ辛い。

自宅へ着いて、和室に布団を敷いてもらい妻を寝かせて、お線香を灯すための簡易な祭壇を設置してもらい、ひとまずホッとした。
 


葬儀屋への依頼見積もり


私は、結局この葬儀屋に、葬儀告別式と四十九日法要までは全て任せたが、高額だった(2000k以上!?)のと、仏壇、納骨、本位牌のことなど、読む気にもならない分厚い冊子を渡すだけで適切なアドバイスはしてくれなかった。

話に戻ろう。葬儀屋から後日でいいから葬儀のとき妻に着せる服を選んで出しておいて欲しいと言われた。

葬儀のため、専門のスタッフが妻に死出の衣装として着せてくれたり化粧をしてくれるのだそうだ。後で考えることにしたが、ママのお気に入りのドレスや1番綺麗な服を着せようと思った。
 

葬儀告別式(通夜・告別式)の日程について


さて、落ち着いたところで妻の通夜、告別式の日程について、すぐ決めなくてはならない。私は出来れば早い方がいいと思っていた。

なぜなら、あまり先になっては妻の身体も痛むし、自分もキツイ。葬儀までは心忙しく突き進むとは思うがあまり長いと自分の心と身体が持たない気がする。

自分の希望としては4日通夜5日告別式というイメージで描いていたが、式場はともかく火葬場の方が満杯らしい。

 

なんでも近隣3市(人口約80万人)で1つの火葬場であり、キャパシティオーバーな状態だそうだ。火葬場というものは中々新規増設が難しいものだが、明らかに足りてないと思った。

というわけで火葬場の空き具合から勘案し、6日通夜7日告別式となることとなった。この時は少し長い気がしたが、後に述べるがこの日程が我が家にとって最善の結果となった。

12月1日夜妻が他界したということ‥‥‥‥ショックで、ただただ妻と一緒にいようと思ったことを覚えて、香を灯す。布団に入る。お線香する。布団に入る。それを繰り返したが明け方近くなって結局やっと1時間半眠ることが出来た。


12月2~3日のこと(弔問客対応・友人連絡・葬儀屋との打ち合わせ)

 

12月2日早朝起きてすぐ、もう妻は居ないのだ。ここにあるのは亡骸だけと思うとかなりキツイ。葬儀までの数日間はこうして妻の亡骸と一緒に居られると思い直して心を奮い立たせた。

まずは今日明日は近所の方が弔問に来てくれることが予想される。それにきちっと対応したい。

また、私と違い交友関係が広かった妻。小中高大と各年代友人との付き合いがある。
辛い作業だが、妻の携帯から連絡を入れる。これを今日は行わなければならない。


12月2,3日は葬儀屋との打ち合わせ、妻の訃報を主に妻の友人関係に連絡することに終始すると共に、近所の方にも訃報を伝えたり、弔問を受けたりした。

弔問の対応は、疲れはするが、妻のことを訥々とではあるが思いを込めてお話しさせていただいた。色々な方に、その都度同じ話をするのだが、妻に対する思いが強く、話足りなさすら感じるほどお話しした。

話すのはだいたいこんな感じの内容を話した「突然過ぎて受け止めきれない。喘息による突然死で最愛の妻を亡くしてショックだけど、本人もさぞかし無念だったと思う。遺志を継ぎ子供達を育てていきたい」これは本音半分建前半分である。

心境としては、本音では

「後を追いたい追えるものなら。子供達を育てていくのは使命だと思うけど、そこに一緒にいるはずの妻がいなくては‥‥何でも妻と一緒にしたかった‥‥妻がいない世界に生き続けても‥‥」

と思っていた。これは今でも少なからずそうおもっている。
こんな感じで親族に助けてもらいながら2.3日は過ぎていった。

 

 

葬儀の準備・遺影の製作依頼

 

葬儀屋に大きな遺影を作ってもらう。どんな写真でお願いしようか迷ったが、11月にドラえもん展に行ったときに毛利庭園で撮った写真がいいと思った。
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このドラえもん展に行ったときの写真(イラスト)が一番最近撮ったものだし、妻がとても優しい良い笑顔をしているのが写っていると思う。

問題は次男を抱っこして撮っていることだ。葬儀屋に尋ねたところ「問題ありません。画像を加工して奥様単独の写真にします。」と言ってくれた。出来上がったら知らせてくれるので、出来上がりを待った。

12月4日夕方にメール等で連絡があり、遺影写真の出来栄えを確認した。次男の画像を除いた上で背景の庭園の池がしっかり写っている。こんな画像の加工もできるなんて葬儀屋って何でも出来るんだなと思わずにはいられなかった。
同時に、最愛の妻の笑顔にまた泣いてしまう。

遺影と同様に絵師様「あかつきひな様」に作成して頂いたイラスト
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図らずも遺影とほぼ同じとなっている。

 

 

故人の正装・化粧

 

※死化粧師という専門家もいる エンゼルメイク エンジェルメイク エンゼルケアともいう

 

ママお着替えして化粧してキレイになった。

12月4日夜、葬儀屋の説明によると、専門の女性スタッフが来て妻に着替えをさせたり、化粧してくれるという。

 

事前に言われていたので用意しておいた。ママが最近購入して、まだ着れてなかったGAPのセーター、長身のママに似合っていたドレス。外行きの靴等々。冬なのであったかいかっこにさせてあげたい‥‥着替えも入れる。

数日後には火葬をされるという現実が脳裏の片隅にある。でも、それでも、魂になって、空の上・天国へ旅立つ、そのためには着替えも持たせておこう。

子供達・自分にそう言い聞かせる。ドレスは、長身でスタイルがいい大好きなママにオシャレでキレイなかっこで旅立って欲しいという私の願い‥‥

ただ本人は、いつも、慎ましく、派手なかっこをすることはほとんどなかったので、嫌がるかもと思ったが「フォーマルな場だから納得してくれるだろう」と自分でもよく分からない論理で妻の好みより自分の好みを優先してしまった。

思えば妻は、自らは華美な服装を好まず、いつも私を優先してくれた。
ママ「パパのお洋服を買おう」
パパ「ママのお洋服も買おうよ」
ママ「ママは今度でいいよ」

‥‥‥‥もっといっぱいキレイな服を着せたりしてあげたかったという気持ちが強く残る。

今は何でも子供達優先が当然だが、それでも、それでも、最愛の妻のことを優先したかった。妻を喜ばせることをもっともっともっとしたかった‥‥


葬儀まで数日あるため、妻の亡骸の傷みがどんどん進んでしまうのでは、という懸念がずっとあり、亡くなって3日も経つと傷みが目立ってしまうのではないかと恐れていた。

しかし、冬場に入ってきていることも助かったが、そこは、葬儀屋がきちんとお世話をしてくれて亡骸の傷みなど微塵も感じさせることは無かった。

だが、葬儀屋・担当者は男性だ、男性に妻を触らす、例えそれがドライアイス等を設置することだとしても‥‥妻は既に死者であり、私としてはそこまで気にはならなかったが、やはり複雑な感情がある。

端的に言えば妻を男性が触る。私以外の男性が世話をする。もってのほかだと思った。


(妻の出産のときなど、私は3人目となる次男の出産時にやっと立ち会ったが、産婦人科、分娩室のスタッフ、思いの外男性が多い‥‥医療行為とは言え嫌な気持ちを持ち自分の子供じみた嫉妬深さにビックリした)

しかし、着替えと化粧は専門の「女性スタッフ」と聞き、安心したというか、やはり女性のことなので女性のスタッフにお任せ出来て良かったと思った。
(私個人は性別で仕事・職種部分で役割を分けたりするべきではないと思っている)

ただ、妻は、当然死後現象として

いわゆる

  • 死後硬直(「しごこうちょく」死体の筋肉が硬化する現象であり、死後半日から1日余りの間が死後硬直のピークという)をしていて、着替えさせるのは大変じゃないかと思ったが、調べたら、死後3日経った今の時期は既に死後硬直は解け始め

 

  •  「緩解」という現象の最中(死後30時間から40時間程度で徐々に硬直は解け始め、死後90時間後には完全に解ける。これを「緩解」という。緩解時期は、夏は死後2日ほど、冬は4日ほどであるという)

のようだ。むしろ、だから数日経ったこの時期に着替えと化粧をするのかと思い葬儀屋の仕事ぶりにまた驚いた。

さらに、女性スタッフには大変な作業かと思ったが、実際に会ってみるとそれは杞憂に過ぎなかった。

「早速取り掛かります」と言われ、作業中はふすまが閉じられた。
しばらく待って「無事完了しました」と言われ、スタッフの労を労うとともに、妻の姿を見た。

化粧をして、ドレスを着て、凛々しい美しい綺麗な姿になっていた。

「ママキレイだよ」

そう呟くように妻に声をかける。

まさしく外行きの装いという感じで、結婚式や、成人式、子供達の入学式等でもバッチリだと思った。

改めてスタッフに御礼を言った。
でも妻はもう起きない‥‥‥‥そう思うとまた強い悲しみに襲われる。
時間が止まってずっとこのままならいいのに

 

12月5日ママが家に『いる』最後の日

 

この日は妻が家にいる最後の日だ‥‥正確には明日午前に葬儀場に向けて出発をする。家にいる最後の夜だ。
もちろん生きてはいないわけだが、一緒に家で過ごす最後の夜になると思うとまた悲しさが襲ってくる。

連日の弔問客に

「最愛の妻が亡くなったことはものすごいショックです。葬儀まで数日ですが、いまのこのときのまま時が進まずに葬儀の日が来ないことを願わずにはいられません。妻がここに居てくれるので。葬儀の日が来るともう本当の本当にお別れの時なんだと思うと時間が止まって欲しいのです」

などと恥ずかしげもなく話した。

時間が止まってずっとこのままならまだいいのに‥‥‥‥妻と一緒に永遠に眠りたい‥‥妻が居ない世に興味は‥‥‥‥‥‥

子供達がいる。私が居なくなったら子供達が確実にまた不幸になってしまう。それだけは避けたい。

妻の側で眠りたかったが子供達もいる。「ママお休み」と妻に声をかけ子供達と寝室で休む。明日は通夜、明後日は告別式だ。通夜告別式に全力を注ぐつもりだ。

 

 

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