この50年…
いろいろあったけど

過ぎてしまえば
思い出という
名前の出来事…

結婚してからの
いろいろは
まだまだ
現在進行形…

主人とよく
ちょっと昔の話をする…


知的障害者だった義姉

ほぼ痴呆老人と同じだった

子どもたちによく言った
「照子オバチャンはね、
困るヒトだけど、
悪いヒトじゃないんだよ。」
ってね。

心は純真だった。
よく
岸壁の母と母さんの歌を
歌ってたな

まだ子どもが離乳食の頃
支度しておいた離乳食を
食べちゃったり
ブルーベリーやイチゴのジャムが
大好きで、
ちょっと目を離した隙に
冷蔵庫から出してイッキに食べて
容器を空に…

おしもの方も
晩年オムツにするまでは
ホント大変だったな

「ぴーぴーちゃんに
なっちゃった~」
って、やってきたときには
オシリの洗い役は私だったな。

大きな赤ちゃん…
そのものだった

糖尿病があったから
インスリンの自己注射も
してあげた

催眠商法の人に連れて行かれて
行方不明!と、大騒ぎにもなった

いつも薪木をノコギリで
ギコギコ挽くのが日課で
ノコギリを持ったまま
道端に立っていることも多かった
ある日、
多分誰かに馬鹿にされたのかな?
異常に興奮して
草刈りの鎌を持ったまま
人を追いかけてしまって…
警察沙汰にはならなかったけど、
苦情が来て平謝りしたことも…

四六時中監視もしてられないし
縛り付けて置くわけにもいかず…
言い聞かせてわかる人でもなく…


走馬灯のように
大変だったあの頃が思い出され
主人と笑い話にしてしまっている。

そう、
過ぎてしまえば

思い出。


今も家族と
新たないろいろが
進行形です


障害者の甥っ子たちの今後…
精神不安定の娘…
私の病気…


数年後には
同じように
思い出になるよね。