3年前の入院2日目の妻、病状は安定しているように見えました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

3年前の7月15日は妻が入院して2日目でした。私は入院した日からワープロソフトでメモを付けることにしていました。というのもこの時の入院から9年前、2007年2月に急性心筋梗塞で救急搬送された時のことです。この時は2016年の入院時よりはるかに危険な状態に思われました。何しろ心臓が一時停止したのですから。結局発症から16日間で無事に退院出来たのですが、私は救急車に同乗してからも気が動転していて、この期間の出来事を一切記録していなかったのです。しかも発症から施術をして3日後に意識を回復した妻に、心臓が一時停止して救急搬送、手術、入院した事実を告げても、本人には一切記憶がなかったのです。

幸い発作を起こした日と退院した日は妻の手帳の記録から辿ることが出来ました。もし2007年2月に妻がそのまま逝ってしまったら、唯一事実経過を語ることの出来たはずの私が、何も記録がなく情けない思いをしていたことだったでしょう。生還した妻の手帳に救われた気がしました。

3年前の7月14日の入院の際、妻がこのまま生還出来ない確率としては10%も思っていませんでした。医師団の応答もそのような印象でした。しかし、この日から9年前の出来事があったので、今回は努めて記録しようと思いました。まして9年前すなわち2007年はまだ会社員でしたので、毎日病院に行くことは出来ませんでした。しかも情けないことに見舞いに行った回数も記録していません。今回は会社は退職していますので、9月2日に亡くなるまで毎日見舞いに通うことが出来ました。そのことも記録出来ました。

この日の妻は熱は37度台に下がっていました。脈拍は100台でやや苦しそうでしたが、落ち着いているようでした。喉の奥まで人口呼吸器が挿管されていましたので、会話は出来ませんでした。妻の目は何かを訴えていましたが、頑張れよと言ったら頷いてくれました。病状は安定しているように見えました。熱が下がって人口呼吸器を外すことが出来たら、じきにICUから一般病棟に移送されるものと思っていました。