残暑の最中埼玉県の郊外を歩き回り、母が気に入った区画で霊園の永代使用権の契約をしました。当時の霊園の仕組みは、石屋が何軒か出資して霊園を設立し、各石屋はぞれぞれ自分の区画を持ち、客を案内して墓石の工事一式を請け負うというものです。ところが母がここがいいと言った場所が、案内してくれた石屋の持ち物件でなかったのです。その場合、石屋同士で物件を融通し合うのですが、相手の石屋の譲歩を得られず、結局母は案内してくれた石屋には何もしてやれず、物件を所持している石屋と改めて交渉することになったのです。
当初案内してくれた石屋には結果的に手間だけ掛けさせてしまいました。新しく案内してくれたNという石屋に改めて見積もり依頼をしましたら、Nは書面は出さないので現地で実物の物件を見ながら説明すると言いました。はなから価格交渉というものが一切なく、すべてNのペースに乗せられてしまいました。初対面でのNは霊園内を案内しながら、出来上がった墓石、そのほとんどが真新しいものばかりですが、一点一点指差しながら、これで一式300万円、これは500万円と言ってどんどん歩いて回ります。私も母もこの余りにも大雑把な営業に面食らいながらも、母は何が何でも決める気でいましたので、最終的にその場で総額500万円近い契約をしてしまいました。
こうして10月の100カ日の法要に墓石工事は間に合いました。お坊さんを呼んで法要を営み、母の望み通りに父の納骨を行いました。母親には誠に失礼ながら、病弱な母が残されてその後33年間生き延びてくれるとは思いませんでしたので、とにかく墓を早く作って万が一の時には長男の自分が墓守をしなくてはならないと強く自覚したのでした。その強すぎた自覚がその後の自分の人生を大きく反転させたことに、当時の自分が気付くことは出来ませんでした。