7月17日、入院4日目、妻はHCUに移りました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

2年前の7月17日は日曜日でしたので、13時から面会できました。と言ってもICUにいる限りは長くても10〜15分程度しかいられませんから、それほど早く行く必要はないのです。

でも家にいても落ち着かないので結局13時10分に病院に到着しました。4日目になると院内の事情も大体分かって来ます。ICU入り口からインターホンで呼び出すのですが、必ず設置してある体温計で体温を計り問診票に記入しなければなりません。また看護師の事情や患者の状況次第でかなりの時間待たされることもあります。この日の妻はICUからHCUに移動することになりました。すぐには理解できなかったのですが、これは基本的には喜ばしいことでした。集中治療室の極めて重篤な状況から脱し、高度治療室への移動ですから。

結局1時間以上待たされてから、看護師が出てきてHCUに案内されました。妻に会ってすぐに分かったのですが、事態はそれほど好転していませんでした。熱は38℃を超えていましたし、脈拍も100以上でした。人工呼吸器の挿管は外されていましたが、呼吸は苦しそうでした。何かうわ言のようなことを言っているのですが、上手く聞き取れません。会話は不可能でした。

それでもICUとの違いはベッド脇に椅子が用意されており、治療がなければ何時間でも付き添うことが可能なことでした。

早く熱が下がって欲しい、脈拍が落ち着いて欲しい、電子機材に取り囲まれたベッド脇でひたすら数値を見つめて願い続けました。いつの間にか3時間以上経過していました。ICUだとベッド脇のカーテン越しに看護師の姿が見えるのですが、HCUには看護師は見当たりません。時折状況を見に来ていたのでしょうが気付きませんでした。苦しそうな妻に別れを告げ、病院を出たとき時刻は17時を廻っていました。この先どれほど長い期間がかかろうとも、こうして毎日病院に通い続けようと心に誓ったのでした。