2013年10月、妻のプレドニンは微増量、夫は11月に眼を手術しました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

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2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

10月1日(火)「プレドニン7mgへ」

久しぶりに6mgに減量になったにもかかわらず、わずか2週間で元に戻されてしまいました。

ただし、妻の体調は特に悪くなかったと思います。月に一度大学病院に通ってプレドニンが思い通りには減量にならなかったですが、外出して映画や演劇、ショッピングや外食を楽しんでいました。

妻は入院や手術を何度も繰り返しましたが、私はこれまでに入院したことは一度もありません。手術をしたことももちろんありませんと言って来たような気がしますが、実はこの年生涯ただ一度の手術、眼科で白内障の手術を受けました。

11月30日(土)「7時30分出発、9時から夫の眼の手術」

レーザーで眼にメスを入れて濁った水晶体を吸い取り、代わりのレンズを入れるだけ、片目5分間、両目10分間の簡単な手術です。ただし、術後の眼の防護が大切で、術後はホテルに宿泊するか、帰宅するならば付き添いが絶対に必要と言われてました。

私は妻の通院には出来る限り付き添うようにしていましたが、自分が病気で妻に付き添ってもらうということが全くイメージが出来ませんでした。従って病院で手術が決まって事前の注意を受けた際も、病院の近くにあるビジネスホテルを予約しようと思いました。妻に報告だけはしようと何気なく術後の安全の帰宅のために当日はホテルに泊まることを告げる際、付き添いがいれば電車で帰れるのだけどね、と言ったところ自分が付いていってあげるよと言うのです。なぜなのか分かりませんが、こんな簡単なことだったのかと思いました。

自分は病弱の妻を守る人という立場でずっと来たせいか、自分が病気になったら守られる人になる、という単純なことを全く思いつかなかったのでした。

さて当日、手術はあっと言う間に終わりましたが、麻酔(点眼薬)とか準備などで3時間ほどかかったでしょうか、妻はずっと付き添って待っていてくれました。帰りは日本橋のレストランで昼食を取り、防護用のメガネをかけて妻に付き添われて無事に帰宅したのでした。