2001年、妻不妊治療を望む | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

妻は両親とは和解しお互いに普通に行き来するようになりました。

しかし、子育てや家事などで実家の母親を益々頼るようになりました。分譲マンションを購入した95年3月までは、それこそスープの冷めない距離に住んでいましたので、母親の通いも楽なものでしたが、引っ越してからは同区内とは言えバスで10分ほどかかります。商店経営と家事に加え、娘の家の用事で呼ばれると行かざるを得なくなり、母親も大変だったと思います。

そもそも妻の母親は娘の体を心配して2人目の出産に反対したのでしたが、結果的にはどちらが良かったのか、私も妻の母親に同情するものの、何が正解なのか良く分からなくなりました。

2001年になり、妻は精神的には安定して来ましたが、やはり二人目がどうしても欲しいようでした。それだけ強い要望でしたら、なぜ中絶に同意したのか、本当に複雑でしたが、多分両親の反対を押し切ってまでの出産は妻も希望しなかったのでしょう。次に妊娠したら両親も反対しないと考えたのでしょう、産婦人科に相談に通い始めました。

4月の週末のある日、私も同行しましたが、産科医からまずは心療内科で診断してもらって下さい、などと言われてしまいました。