こんな思いをするくらいなら手術に同意すべきでなかった。毎日泣き暮れる妻を見て心からそう思いました。
仮に生むと決めて初産同様つわりで3回いやもっと多くの入退院を繰り返したかも知れません。長女が病気などしたら実家の両親はさらに疲弊したかも知れません。それでも心から後悔して両親と断絶した妻を見ると、本人がどういう決断をしたかはひとまず置いて、私が手術に反対すれば、つまり私がどうしても2人目の子供が欲しい、頼むから生んでくれ、と言えば良かったのです。
私としても生んで欲しくないと思ったわけではなかったのです。しかし、疲弊し切った両親を見て、同情したこともありますが、今にして思えば家のことや妻の病気のことや、すなわち面倒なことは一切妻の両親に頼り切っていた、情けない自分がいたのです。いや、自分というものがこの家にはなくて、単なる月給運搬人の男が同居していただけという事実に気づいたのです。
両親も悩んだ末の提案だったのでしょう、その後とある縁者に打ち明けたところ、娘に中絶など勧めるものではなかったと諭されたそうです。それでも私は両親を悪者にすることは出来ませんでした。
愛する妻に先立たれて1年余り、今春大学生になった長女がいなければ自分はとてつもなく淋しい日々を生きなければならなかったでしょう。妻が出産も含めると4回の入退院を繰り返して生んだ長女は、まさに妻が授けてくれた最高のプレゼントです。その思いがあの時に強くあれば、私は愚かな同意をせずに済んだはずでした。