人生イロイロ
コチラが以前の猫blog

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お知らせ

お久しぶりです。

ホントは、細々とながらも書こうと思っていたのですが、とにかく時間がなくて放置していました。
すみません。

実は、2012年1月19日。
長男を出産しました!男の子

元気な・・・と書きたい所ですが、これまた色々ありまして。


2011年3月11日にあった東日本大震災の余震でユラユラと揺れるビルの中で、無麻酔で採卵した時の卵が無事受精卵となり、結果的に長男になったのです。

当時は病院内は混乱を極めていて、医師から「こんな状態ですし、今回の採卵はやめますか?」と言われたりもしました。

「準備をしてきましたし、やります!」

強行して進めた採卵で採れた卵は質が良く、その後、受精卵になったら、「この病院でもめったに出ない位の質の良いグレードAの卵」と言われた程、良い状態でした。

また当時、水道水が危険だ!とか情報が錯綜していた時期でもあり、「今は、移植は、やめといたら?」と言われたりもしました。

・・・いやいや、いつになったら、大丈夫なのか?なんて、わからないし。
それにそもそも、政府の言うことなんて、信用してないし。

でもさ、戦争中でも市は立つって言うじゃない?

何があっても、移植する。
きっと、何とかなるよ!

その結果、陽性フツーのハァトでした。

上手くいくときって、ホントにうまくいくんだなーというのが実感でした。
っつーか、今までってなんだったのだろう?・・・という呆気なさガクリ

しかし、3年前、流産をしていた私は、今回は上手くいく!とは到底思えず、安定期に入ってから公表しよう・・・などと思っていました。

でも、なかなか予定通りにはいかず。

妊娠が継続出来たら出来たで、つわりに悩まされ、それが過ぎたら、腹の重さに悩まされ、トイレは近いし・・・妊婦特有の悩みは延々尽きませんでした。
多分、酷い人に比べれば、軽い方ではあったのだろうとは思うけれど。

それでも、本当に妊婦時代は身体はきつくとも、精神的には本当に幸せでした。
精神的には穏やかな妊婦生活の間、どんな子が出てくるのだろう?と思いを馳せていました。

しかし・・・

出産は、難産になり、あやうく私も息子もヤバい橋を渡る所でした。

3日掛かって生まれた子は仮死状態でNICUに搬送されました。

障害が残るかもしれない・・・と覚悟も固め、それでも、やはり我が子は可愛い。
障害が残っても、それもまた運命なんだろうな・・・と。

そういえば、以前読んだ本に早くにどういったハンディがあるのか判明すれば、専門のプログラムを受けさせるとその後の伸びが違うって書いてあったよな~・・・
出来るだけ早く見つけてあげて、専門の訓練を始めた方が良いんだろうな、多分。
親の不手際で後々気づくことがないようにしないと・・・。
確か家の本棚に本が入っている筈だから、勉強しないとなー
そんなことを考えていて、あまり悲観的なことは思いもしませんでした。

結構、冷静に受け止めてました。

一足先に私は退院したのですが、毎日NICUに這うようにして通っていました。
難産だったので、とにかく産後は、最悪の体調で。
毎日、毎日、NICUで朝から晩まで息子を抱き続けました。

その後、無事、息子も退院できたのですが、その後も本当に大変で。
書きつくせない位、色々ありました。

・・・ですが、4ヶ月が過ぎた現在。

息子はすくすく育ち、ムッチリモッチリの大きな元気な子供に育っています。
一時は心配された障害ですが、どうやら、そちらも大丈夫なようです。

目も見え、耳も聞こえ、最近は声を出して笑うようになりました。
寝返り練習も始め、人見知りらしきものもチラホラ出てきました。
ごくごく普通の赤ちゃんとして育っています。
大学病院の医師たちにも良かったねー!と言われ、ほっとしています。

ただし、大学病院での出産だったので、何とかなりましたが、普通の産婦人科だったら、マズイことになっていただろう・・・と、どこへ行っても言われています。
母子手帳に書かれているので。

そして、こちらも色々ありましたが、ダンナは・・・息子にメロメロです。

毎日、毎日、「可愛い」を連呼する、ただの親バカになりました。
せっせとオシメを換え、抱っこをして、寝かしつけています。

それを横目で見ながら、内心、・・・そう思うなら、早く子供を作れば良かったのにームカムカ・・・と思っています。

本当に幸せです。

・・・でも、不妊治療をしたこの4年間のことは忘れたくても、一生忘れられません。

そのことが暗い影をもたらすことも当然あります。
今でも治療の特集などに目をついつい通してしまいます。

**********

それと、自他共に認める子供嫌いの私とおおよそ子供好きではないダンナ。
共に子供より自分を選んだ人生を歩んできました。

そんな2人の間に子供が出来たら、どうなるんだろう?と思っていたのですが・・・

普通に可愛いです。
もちろん大変ですが、何というか、かなり子育てをマイナスに捕らえていたせいなのか?
大変は大変だけど、可愛さに押されて何とかなっているというか。
思っていた程ではないです。
今のところ。

ある程度の社会生活を送ってきたせいなんでしょうか?
高齢出産の良い部分なんでしょうか?
イライラすることもなく、マイペースに子育てしています。
ダンナもかなり手伝っていてくれてるからかなー

ダンナも夜中でも起きて、オムツ交換をしていますが、イライラとは無縁です。

不妊治療時代が長く辛かったせいもあるし、子を持つことについては、ホントによくよく考えた末の出産だったせいなのか?
今のところは楽しく子育てしています。

*************

本当は書きたいこともいっぱいあって、思うこともたくさんあって、報告もきちんとしたくて・・・

でも、目の前に出てきた可愛い息子に時間を割いてやりたい。
手を掛けてあげたい。

そう思うと、今は、書く時間はないのです。
・・・それに子育てに慌しくて、時間もない汗

落ち着いたら、育児blogでも書きたいですが、まだまだ無理そう。。。
このblogもイジる時間もないのです。

落ち着いたら、また考えたいですが。

でも、とりあえず、ご報告まで。

2011/03/17 ハムスターのキモチ

まだまだ余震が酷かった震災7日目。

我が家自体の被害はなかったけれど、県内で見ると、全然被害状況は違った。

我が家の近くでは、地主さんの古い屋敷の瓦が落ちた家が数件あった模様。
瓦が手に入らなくて、結構、長い間、そのままになっていたようである。

また、駅近くに大きな交通公園があって、その中に白鳥が住んでいる大きな池があるのである。
その池からの影響なのか、交通公園の横にある図書館の地下が液状化現象により大変なことになったらしい。

目に見える被害はその程度であった。

しかし、同じ県内でも、地域によって被害状況は違っていた。

ダンナの会社がある横浜周辺は被害が酷かった。

横浜駅にある建て替えたばかりのハマボールは天井が落下し、営業再開を断念したようだ。
同じく横浜駅近くのダイエーも地盤沈下したのか、周りの土台が激しく崩れていた。

そして、横浜近郊のダンナの会社は、ダンナが出社したのは、震災から数日経っていたにも関わらず、酷かったらしい。
ビルの壁にヒビが入り、棚類なども倒れていたとのことだった。
しかも、余震が続いていたので、また倒れることを懸念して、そういった棚類も全てそのままにしてあったそうだ。

同じ県内でも、横浜の海沿いは埋立地が多いので、被害状況が全く違ったのだろうと思う。

「PCも仕事もどうでもいいから、大きな余震があったら逃げなよねー
ウチより会社の辺りの方が地盤が甘いんだからさ。」


************


子なし友人&独身友人達に「とりあえず治療を頑張れ!」と言われた私。

えーと・・・、

何なのよ!?
治療の辛さなんてアンタたちにわからないクセに!!

・・・なーんてコトは全然思わなかった。
さすがにそこまで不妊様になりたくはないしやれやれ

いや、確かに治療のコトをわかる筈はないことはわかっているのである。

わかっているコトは、ユリは不妊治療をやっていて、精神的にも肉体的にも大変そうだ。
しかも、とてもお金も掛かっているのに、全然結果が出ないらしい。
その位の理解だと思うのである。
私自身も治療前は、そんなもんだと理解していたし。

しかし、不妊治療に限らず、元々相手の心を100%理解なんて出来ないと思っている。
相手に何かがあって、ホントの意味で理解してあげたいと思うけれど、どんなに考えても努力しても、その当事者でなければわからないことがあるのは事実である。

ハムスターがグルグル回し車で回っているけれど、ハムスターが満足しているか?誰にもわからない訳である。
回し車でも運動不足解消出来て、サイコー!!って思っているかもしれないし、こーんな狭い回し車で回っているのなんて、ウンザリ・・・って思っているかもしれない。
ハムスターにしかわからない訳であるハムハムぼー

でも、今回その話をした友人達4人に時期はそれぞれバラバラだけれど、仕事にハマリすぎて、止められたことがそれぞれあるのである。

「もう、ユリ、仕事やめなよ。
これ以上やるのはやめた方がいいよ。」
と。

そう言われて、
はっ!?
・・・と、我に返って見れば、何日も家に帰らないで仕事をしていたり、体調を崩していたりしていた時期もあったのである。
さすがに見るに見かねたって所だろう。

そんな友人たち4人が揃いも揃って、「もうちょっと頑張れ!」と言うということは、まだ私に余力があるように見えるということだろう。

不妊治療の辛さが表面に現れにくいものだったにしても、とりあえず、正気でいられて、まだまだ余力があるように見えるということは、実際、余力があるということなんだろう。

うもー!!
もう、ちょっと頑張ってみるかー・・・
不妊治療は今しか出来ないしー・・・

*************

ハムスターのように回し車をひたすら漕いでいるような私。
すっかり、不妊列車の住人である。

正直な所、自分自身の為だけだったら、とっとと回し車から降りて、一目散に冷蔵庫のチーズでも食らいながら、ビールでも飲んで、さっさとリタイヤしている所である。

ウンザリしたり、ホルモン剤の影響でイライラして感情のコントロールが効かなくなって、ダンナに八つ当たりしたりしながらも、続ける理由は何か?

やはり、理由はダンナであろうと思う。



ダンナとの結婚時の私からの約束は「私が先に死にたい。だから、私より長生きして」だった。

「ごめんね。それだけは約束出来ないよ」と笑いながら、ダンナは言った。

そして、結婚した。

しかし、月日が流れ、歳を取るごとに考えが変わった。

「やっぱり、先に死ぬのはやめるわ。
先に死んだら、さとるくんがどうしていくのか心配だし、先に死んでよ。

出来れば、さとるくんが死んだ翌日に即死したいなー
心残りもなくなるし、満足出来るわ。」

ニコニコした笑顔でそんな話を聞いているダンナ。

・・・あぁ、やっぱり、残されるのは嫌なのね。



そして、不妊治療を始めた。

治療を始めた時からダンナは、言っていたのである。

「ユリさんの気が済むまでやればいいよ。」

「「もー、嫌じゃー!!」って言い出したら、どうするの?」

「止めればいいよ。」

「止めてどうするの?」

「別に今まで通り暮らすだけだよ。」

決定権は私にあったのである。



今、現在の住まいがある所は私の地元。
地元の友人とは、「老後は、昔みたいに一緒に旅行に行こう!!」などと約束しているのである。

「1人で家にいたら、ボケそうだから、ユリんちでたまにご飯食べたりしても良い?」

「いいよー!!
3人で一緒に作ろうよ!」

ダンナにもその話を伝えると笑いながら、「良いんじゃない?」と言ってくれているのである。

子供がいても、いなくても、なるべく自分達で楽しみを見つけていきたい。

そう思っていたのだが、ある日気がついてしまったのである。

今の住まいは、私の地元で学生時代からの友達も幼馴染もいて、両親から兄までいる場所である。

さすがに私の老後に両親がいるとは、思っていないが、兄や友人がいるのは想定はしている訳である。

おそらく、私が1人残ったとしても、もちろん、元気なうちに手を打つ部分は打っておくけれど、全く知らない地ではないし、何とか出来るとは思うのである。

しかし、逆だったら・・・?

私の都合で今の地に住んだダンナ。
就職自体は、自分で関東に決めたけれど、今の地に私と関わらなければ、100%住むことはなかったと思うのである。

しかも、ダンナは、両親とは絶縁している状態だし、ダンナの親族ともほぼ付き合いはない。

私がいなくなったら、本当に1人ぼっちになっちゃうんだろうな・・・と思ったのである。



正直な所、ダンナは当初100%良い夫ではなかった。
姑、舅にはかなりウンザリさせられたし、隠れて株や為替で負けた時には殴ってやりたいと思ったのも事実だった。

まぁ、姑、舅の件については、子供は親を選べないと考えると、ダンナを一概に攻める気にもならず、現在は縁を切った状態である。
株や為替については、少ない小遣いから現在も回収中である。
もう、この件に関しては許そうと思っているのである。

その後、ダンナなり反省をして、今では、ほぼ100%に近い良い夫になったと思うのである。



子供がいたからといっても、この先の時代、子供が親を背負って生きていくのは無理だろうと思っている。
本人たちが生きていくだけでいっぱい、いっぱいだろうと思うのである。
実際、今現在、自分の親に振り回されている私ですら思うのである。

不妊治療が長くなるにつれ、諦めどきはどこなのか?
私とダンナの老後はどうするのか?
・・・まぁ、金さえあれば、代理人を立てて、法的に問題がないようにしていくつもりではいるのだけど。
そんなことをフツフツと考えるようになってしまうのである。
多分、この辺は、不妊治療を長くしている人は皆考えるんじゃないのかなーと思うのである。

だけど、周囲に金銭的負担や介護負担がないように、事前に手を打っておいたとしても、歳老いて、たまに訪ねてくる子供もいない、たまに電話でも様子を伺ってくれる人もいない・・・
それはどうなのだろうか?・・・

大人しい穏やかなダンナが1人ぼっちでいる老後を想像するだけで耐え難くなってしまうのであった。



・・・あぁ、やっぱり、ダメだわ。
ここで諦めるわけにはいかない。
行けるところまで頑張らないときっと将来後悔する・・・。

とりあえず、転院した新病院で体外3回はやってみるかなー・・・
それでまた治療パターンが見えてくるだろうし。

結局、ハムスターは回し車から降りられなかった。
またグルグルと治療を続けるしかなくなったのである。
結果が出るか、出ないかわからない、不妊列車の住人になって。

2011/03/16 自己注射

震災6日目。

ダンナの前日の準備は無と化して、この日から電車が動き出した。
しかし、本数が少ないので、ただでさえ混む電車が余計に混雑していた。

看護師さんに渡された自己注射セット一式。
朝から起きて準備を始めた。

「あれ?どうしたの?こんな時間に起きてるなんて?」

「今日は自己注射の日なんだよ。
この間と同じ時間位に打ってって言われたから、頑張って起きたんだよ。」

薬剤や注射器などを準備している私を恐る恐る覗き込むダンナ。

「コレねー、腹のココに突き刺すんだよ。」

「うん・・・。」

「角度はこんなカンジでね!」

「うん・・・。」

「病院で1回やったから、大丈夫だよ。
今日は電車も混んでそうだし、自己注射にして良かったかも!」

「うん・・・。」

ダンナが出社した後で、一人で前回を思い出しつつ、ブスっと刺した。
呆気なく終わる。

この先も必要だったら、自己注射の方がいいかもなー・・・
電車で往復2時間以上掛けて、注射だけ打ちに行くのなら、自己注射の方がロスタイムないもんな。
交通費も掛からないし。


さて、この日の夜、帰ってきたダンナは、さっさと着替えて夕食作りを始めた。

??

あー!
朝の自己注射が原因か!!

今まで通院で打っていた注射。
私にとっては通院だろうが、自己注射だろうが、打ってること自体には変わりない訳だけど、生で準備してるのを見ちゃったからねー

こりゃ大変!!と早速、お手伝いか!苦笑

気が利いているといえばそうだけど、今までだって病院で打ちまくってたのになー
リアルで見てないから想像出来なかったのかな?

*************

さて、迷走中の不妊治療。


私には、素敵な友人たちがいる。

私は結婚は早かったものの、仕事もやめなかったせいか、結婚前と結婚後の生活がほぼ変わらなかったのである。
多分、ダンナも結婚しても、あまり変わらなかったな。

家事は分担、仕事も分担、金も分担な訳である。
ある意味、同棲とあんまり変わらなかったかも。

ダンナの性格もあるのだろうが、私は普通に男友達とも飲みに行ってたし、遊びにも行っていた。

「オマエ、ホントに結婚したの?」

「したじゃん!」

「オマエんち、おかしいよ」

「別におかしくたって良いわよ。
他人の猿真似で夫婦やってる訳じゃないし。
コレがウチのスタンスだもーん!」

そう、不妊治療を始めるまでは、結婚10年が過ぎても、独身時代と何ら変わりのない生活を送っていた私。
仕事に遊びに大忙しだった訳である。

(まぁ、そのせいで不妊治療をせざる得ない程の年齢になった訳だけど汗

・・・ということは当然、友人たちはやはり類友なんだろうなーと思う人が多いわけである。
結婚しても子なしだったり、独身だったり。

常にキャリアアップに生きる女友達もいるし、岡本夏生を思い出させる位、歳を取っても体系も変わらず美貌を維持する女友達もいる。
はたまた、趣味にハマり、自宅にコントラバス(弦バス)持つ女友達もいる。→普通、買わないと思う
毎年、第九を歌う友人もいる。
昔からセンスが良くて、インテリアセンスも抜群で家はモデルハウス状態になっている女友達もいる。
もちろん、今までの私同様、夫婦2人だけの生活を楽しんでいる友人もいるのである。

多分、もう、治療を諦めてもいいかなーと思ってしまう理由の中に、周囲の友人たちの影響は色濃くある。
子供がいないからって、卑屈になったりしないし、何もしていない友人がいないせいもあるだろう。
・・・っつーか、単に子供いらない、子供嫌いな友人夫妻もいるしね。
その気持ちもわからなくもないのであった。

『子供を持たない生き方』の良いサンプルが目の前に常にいる訳である。
いないなら、いないなりの生き方がある。
そう思えるのは、友人たちを見ていて、素直にそう思えちゃうのである。

さーて、私は何しようかなー?
また、仕事再開するかなー!
いやいや、ペットの預かりも良いし・・・。

そんな気持ちが迷走中に友人とランチに出掛けた。

「**に今、福島の人たちが避難してきてるの知ってる?」

「へー、そうなんだ!」

「うん。
ネットで見ててね。
で、被災地のペットの預かりをしてくれる人を探してるみたいなんだ。

それで預かろうかと思ってて。」

「え?」

「あ、ちゃんと大事にするよー
良い環境を準備してあげられると思うし。」

「そんなのわかってるわよ!
 ・・・」

「え?
何かマズイ?」

「・・・また、ユリが、傷つくんじゃないの?」

「あぁー
・・・でも、ひめとは違うかな。
もし、飼い主さんの生活が落ち着いて、帰る日が来たら寂しいけど、ほっとするんじゃないのかなぁ。
飼い主さんが落ち着けたことも良かったと思えるだろうし、動物だって飼い主さんの元に帰れることが一番だしね。」

「あぁ、そっか!
そうだよねぇ。

・・・でも・・・」

「なに?」

「でもさ、もしも死んだら、どうするの?」

「あぁー・・・・
そうか・・・、それがあったか!
死ぬのはキツいなぁ・・・。
そうだよなぁ・・・。
動物はいつ死ぬかホントにわからないからなぁ・・・。

まだ、大学生とか留学生の方が良いのかも・・・。
そう簡単に死なないし。」

「・・・あのさー
治療、もうちょっと頑張りなよ。
ここまで頑張ったんだしさ。

この間、転院したんでしょ。」

「うん。
転院したばっかり。」

「そこで何回か頑張りなよ!
40歳まで頑張るって言ってたじゃん!

生まれれば手伝ってあげるから、今は頑張りなよ!」

「う・・・・うんはぁ↓↓

くー!!


そして、別の日。
別の友人3人と飲みに行ったのである。

「ねぇ、私さ。
もう治療やめようかと思ってさ。」

「え?
お金がないの?」

「え?金??
治療費はあるよ。
多分、治療費が払えないから、治療打ち止めってコトはないと思うよ。

まぁ、それは何とかなると思ってるけど、治療のせいで貯金出来ないのは事実だねー
治療してなきゃ、コレ全部貯金出来るのか・・・と思うとむなしいと言うか」

「治療費が払えないって言うのなら仕方ないけど、そうじゃないんでしょー
だったら、頑張りなよ!」

「いやー、なんか、もう仕事もしたいしさ。」グビグビビール

「仕事!?
仕事なんかいつでも出来るじゃん!」

「まぁ、そうだけど、なんつーか、不妊治療って、ハムスターの回し車っていうかさ。
前にも進まず、グルグル回ってるような感覚と同じなんだよねー

仕事してる方が面白いよね。
達成感あって。」

「でもさ、ユリちゃん、40歳まで頑張るって言ってたじゃん!
それから、仕事に戻ったって遅くないじゃん!」

「まぁねぇ」

「じゃあ、仕事しながら、治療すればいいじゃん!」

「いや、通院の日が予め読めないし、仕事し出したら、私は他のコトが見えなくなるじゃん。
多分、両立は出来ないと思うんだ。」

「じゃあ、治療、頑張りなよ!
楽しみにしてるからさ!」

くーーーー!!

独身&子なし仲間は、どいつもこいつも意外にも治療続行を勧めてきたのであった。

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