何十年かぶりに山登りをした
登ったのは秩父の三峰神社の奥宮
妙法ヶ岳コース
上り1時間40分となってるが登ってみたら
かなりの山だった
途中降りて来る人と気持ちの良い挨拶を交わし最初こそ余裕だったが途中からキツくて息が上がった
晴天に恵まれ成人になった子どもたちと一緒に登る山は何だか感慨深いものがある
頂上に着いた時はスッキリとした達成感と満足感でいっぱいだった
登れたことの感謝と「子どもたちに幸あれ」と心の底から願った
そして、この山登りで印象強い出来事があった

下山する時に下から登って来る人がいて「頑張って下さいね」などと挨拶を交わすのだが
登ってくる方は先が心配なようで
あるご婦人が「この先はどんな感じですか?」っと聞いてきた 
正直に通ってきた道の様子を話したが
上まで登ろうかとても迷われていた

見ると、両手には上着そして何かお土産を買ったビニール袋そして鞄である
両手が塞がった状態ではかなり険しい道もあるので少し難しいのではないかと感じた
でも決めるのは本人である

そのご婦人と少し話しをした
せっかく来たから上まで上がりたい
ここまで来たから行ってみたい
でも登れるか不安etc‥

ここで少し山登りの話から逸れるが

人にはそれぞれに事情があって
生き方は様々である
その人の生き方の背景には
他人には伺い知れない出来事があって
そっとしておいて欲しいこともある
人からの助言も受けずに
自分で何とかしてる場合もある

人から何かを打ち明けられた時
その人の背景も考えずに
自分の思考のみでの言い切り方は
その人の奥深く眠る気持ちを
無視しているのではないかと感じているし
常にそこを感じながら人と話しをしている

何も自分のことを知らない
赤の他人にとやかく説教じみた事は
言われたくないのではないかと思っている
でも、相手が今必要な助言が欲しいのも
感じ取ることもできる
微妙な匙加減が人との対話には必要なのだ

話しを戻して

先程はのご婦人とは
両手に荷物がない方が良いのと
誰かお連れの方がいた方が良いと伝えた
(少し年齢が高めな方だったので)
やっぱり又の機会にすると決めて
降りて行かれた

ご婦人は1の鳥居を通った辺りから少し不安になっていたかもしれない
自分で無理かもと感じながらも
先を求めて歩いてたのかもしれない
けど、自分で登ることをやめる決断をし
「又の機会にするわ」と言って
降りて行った姿は清々しい感じがした

人間は自分で1日に無意識も含めて
35.000回も物事を決めている
小さなことから大きなこと迄
クライアントからの悩みを聞く時に
その人は迷いながらも
何となくでも決めて来ている
その何となくを尊重するのは
とても大事な事であり
それをそっと後押しするだけで
良いのではないかと感じた

山登りで大事なことに
気付かされた出来事であった