(前項からの続き)

さきほど、「オープンキッチン」と書くには違和感があると書いたが、もちろんカリスマシェフがスマイル混じりで包丁さばきをプレゼンするというシロモノではない。ただこの居酒屋においては、極限まで敷地面積を効率よく使ったら、厨房とそれを囲む立席となりましたというものだ。多分、オープンキッチンが目指す演出感も含めた上での設計とは思想性が違う。ただ、やっぱりオープンキッチンのように、厨房のスタッフは緊張するだろうな。ちょっとおしりが痒くなったからといって、掻くわけいかないもの。(もしかして掻いているかもしれないけど)

またオープンキッチンと言いたくさせないのは、思想性とか何とかよりもその年代感だ。広い面積のわりには1台しかない平面テレビとカウンター上の客の携帯電話がなければ、まさにザ・昭和。そのテレビのモニターに、力道山とフレッド・ブラッシーの熱戦が放映されていても違和感がない感じだ(それは言い過ぎだけど)

心の底から、アツアツのアツアツのハムカツを堪能し、少し落ち着いたところで、また周囲を見渡すと、ハムの切れ端をオーダしている人が多い。そちらに目をやっているのに気がついた会長いわく、「ここのハムはいいハム使っているみたいなんですね。だからカツの方も、冷たいのも両方人気なわけで」調理も良かったが、材料も良かったということだ。

ところで先に言ったように、客は時計回りで通されていく。我々YSB29の会の右隣、すなわち我々の直前に来たのは、お一人様。見かけは定年前くらいのサラリーマン・ただ一人で酒をあおっているからといって、とくに寂寥感もスサンだところもない。それどころか文庫本を片手に箸と酒を交互に変えて、淡々とやっている。

彼の新しい肴が運ばれてきた。イカと大根煮。この煮物、色がまさにアメ色。私も好きで、家で何度かトライしているが自分、家族の分の量、せいぜい1日分ぐらいの為に煮込んだのではこの色は出ない。大量に供するために、大量の材料で何日も煮こむからこそのこのアメ色だ。

そのサラリーマンに思わず聞いた。「美味しいですか。これ名物料理なんですかね」と。サラリーマンのほうは名物料理かどうかは知らないが、自分の酒は日本酒、コップ酒だから、その酒に合う肴を選んだらたまたま、イカと大根煮だったというだけであったと、丁寧に返事を頂いた。味の方といえば、「ええ美味しいですよ」とこちらも丁寧に教示頂いた。味がそうならば、ぜひチャレンジしてみますと、私。

ところで熱心に文庫本をお読みですが、一体何をお読みですか?と図々しく尋ねる。ちょっと照れながら、下らない小説ですよ、とサラリーマン。「◯◯ですか」と、聞いても仕方ないことを、その場ノリでヒアリングを続ける私。◯◯と聞いたのは、学生の頃、指導教官の一人が、本当にどうしようもなく暇なとき、◯◯の下らない小説を読むのだと聞いていたからだ。実際、私も◯◯の小生をどうしようもなく暇なときに読んだら本当に下らないのでびっくりした。その下らないを年に何冊も、下手したら月に何冊も出しているというからさらにびっくりしたことも思い出した。

下らない小説など〇〇以外にも数多あるにもかかわらず、◯◯ですかと聞いたところで合致するはずもないのだが、酔任せに聞いてみたが、サラリーマンは照れ笑いで、いや歴史小説ですよ。と。結局、タイトルも作者もわからずじまいだったが、こういった立ちのみ、居酒屋で、サラリーマンは暇つぶしに読む小説について、彼なりにベストチョイスしていたのだろう。こんな場でポール・オースターや、村上春樹を読んでいても、多分、読書家ですねって褒めてくれる人はだれもいまい。キュッと飲んで、ぱっぱと食べる。下らない小説のほうが、そのリズムに合うのだ。

ないも同然の内規だがやっぱり雰囲気と慣例にしたがいホッピーを開けて、やっぱり1000円程度、正確には1500円ほど払って、富士屋本店を後にした。

この日ハムカツの他には、唐揚げ・・・、なんだっけ!?他にも食べたけど忘れた。イカと大根煮は次の楽しみにおいておいた。

渋谷駅篇も大満足にて終わることが出来た。

駅についた後は、座して帰れることはなかったが、体が押されるというほどの混雑でもなく、自宅の最寄りの373-1010駅についた。緑色の快速電車から降りると、となりのドアから、同じマンションのMさんも降りてきた。

いやいやぁ、こんばんわ。

どうですか。そこで一杯?

いいですね。大坪屋でですか?

こちらが店名を出したわけでもないのに、大坪屋と来た。

Mさんも相当好きらしい。

場所と人を変えての2次会を373-1010駅西口で始めることにした。

(渋谷駅篇 終わり)


(前項からの続き)

電力省エネのためとは思われないほの暗さの中を注意深く1段ずつ降りていく。
果たしてその店に到達した。

その店の名は富士屋本店。

階段の幅、大人一人がやっとの大きさと同じ間口から富士屋に入ったわけだが、まずはその店の広さに驚いた。YSB29会長からは事前にカウンターだけの店舗と聞いていたのだが、いやぁ広い。東京ドーム何個分とは行かないが、テーブル席の居酒屋ならば、軽く20は置ける店構えではないだろうか。

いやこれは表現が正確でない。確かに20は置ける面積ではあるが、客席だけの面積ではなく、カウンターの中に厨房があるのだ。いわいるオープンキッチン。でも確かにオープンキッチンなんだけど、いってしまった瞬間に、その表現に違うんだなこれはという違和感を残してしまう。理由は後述。

客は時計回りに通されて、埋められていく。我々の会のメンバー二人が通されたのは、時計の針で言うとちょうど30分ぐらいのところ。ただし時計の針の位置によっては、カウンターが壁回りにもあるので、時計の位置と人口密度が比例して増減する訳ではないことを申し伝えておく。

「とりあえずビール」のオーダをカウンター越しに・・・。とはならない、ここのルールで酒の肴一品以上を仕終えてしまうのだ。最初の肴を含むオーダ全ての料金を、肴が運ばれたらその場で支払うためだ。というわけで、経験者の会長は「とりあえずビールに、ハムカツを」である。ハムカツ、そうハムカツなのだ。

ちなみにこの時点では、ここのハムカツがどれくらいのレベルかは知らず、前章「ハムカツをナメるなよ その1」での記述、どうせ「カチカチでペラペラ」だろうと思っていた。冷たくて衣が固まっていて、2枚折りたたみの空気入りな筈な訳だ。普通。しかしところがどっこい、ビールに遅れてくること、数分。同時に何点かの肴を頼んでおいたのだが、一番最後にハムカツがやってきた。会長が財布に手を伸ばしたのに呼応して、こちらも支払う用意をする。割り勘。割り勘はYSB29のユルイ内規の一つである。
ちょうど支払えずお釣りがきたので、カウンターの上にチャージしたまま、ハムカツに箸を伸ばした。うん?何かが違う。ハムカツといえば、6枚切りのハムを半月状に折りたたむのがお約束ではないか。しかしこの店のハムカツは楕円形をなして、加えてペラペラじゃない。カキフライが間違ってきたんじゃないよな?と思わせる形状なのだ。

その違和感を抱きつつハムカツを口にほおりこんだ。

そこで待っていたのは、ハムカツ新時代だった・・・。

なんせ熱い、揚げたて。

なんせ暑い、ハム厚切。

(なんせアツイ、◯◯の3段落ちを考えたが後に続かなかったので、勘弁して下さい)

未体験ゾーンが待っていたのだ。私たちがその日経験したハムカツは、学食・定食屋の最下層を占めるメニューどころではなかった。経済という戦場で一日分のエネルギーを使い果たした戦士たちを明日また戦場に戻る(といってもこの日は金曜日で大体の戦士にとっては明日は休日なわけだが)戦士のためのまさに「肉料理」であった。ハムだから血が滴り落ちることこそないが、家族のため、会社のために費やした活力を補給する肉なのだ。血こそはないが、肉汁はある。衣から落ちる油と肉汁とのミックスが明日の燃料として(そして胴回りを大きさせる原料として)胃袋に収まっていった。

ハムカツはカチカチならぬアツアツで運ばれてきたのだが、それも合点、「オープンキッチン」でその場でオーダごとに揚げてくれるのだ。心憎いではないか。どれくらいの客数が入り込むかは店の面積から推し量ればそれは相当の数だろうけど、効率優先の命題のもとに、予め揚げておいて客の数に備えておくということをしないだ。ここのハムカツは。クドイが「アツアツでアツアツ(厚厚で熱々)」なのだ。

この項、まだ続く。
ハムカツといえば何を想像するか?私にとっては、学食とか定食屋さんにて申し訳なさそうに、一番安いメニューの一角を占めている認識しかない。だいたいそれらの店では、ハムカツは冷蔵庫を兼ねたショーウィンドーに冷めておかれているから、当然、口にするときも衣もカチカチなっており、そこらへんを承知の上で食べるというのが定石だ。だいたいハムカツを定食屋で選ぶ時点で、そうトンカツでもなく、もちろん牛カツを注文するわけでないわけだから、往々にして懐具合は寂しい。その寂しさの上に、カチカチの冷たいやつとくるものだから、注文する時点である種のストイックさを求められるメニューなわけである。
また調理法に注目しても、そのストイックさは際立っている。かつメニューではその薄さを「ペラペラ」と称するが、そうハムカツは紀元からして薄い。スーパーで売られている6枚切りパックのようなハムを、一度折りたたんで衣をつけて揚げている。厚さは折りたたんだ時点で倍になっているが、どうしても空気をそこに挟んでしまう。空気は決して口当たりの良さといった風にいい方向では作用せず、口の中でペラペラを再認識させることしかない。そう、カチカチでペラペラがハムカツというものなのだ。

と思っていた。この日、この店でこのハムカツを食べるまでは・・・

その日、梅雨の晴れ間、しかも湿度は殆ど感じさせられないという最高の居酒屋日和、YSB29(山手線の居酒屋で千円程度でべろべろになる会)メンバーの我々は、渋谷駅南口にいた。前回に引き続き、会長の引率である。会の内規はないに等しいが、数少ない内規のひとつ「攻める居酒屋は駅から徒歩5分(もちろん6分でも、7分でもいいのであるが)」を十分にクリアできる範囲に、本日目指す居酒屋はあった。
副会長の私は驚いた。その店舗の在所だ。いぜんもその店舗が構える通りは打合せの往来で何回も歩いていた。それどころか知り合いが経営していることが縁で何回か足を運んだジャズ喫茶は、その居酒屋のビルの隣にあるぐらいだ。いままでこの居酒屋があるのをしらなんだ。知らないのが当たり前くらいに、ちょこんとその往来に面していた。いや入り口が面しているだけで、実際の居酒屋は階下、地下である。秘密基地に入り込むように、副会長の私は階段を用心深く階段を落ちていった。

(その2に続く)