Slow Life for an open mind

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スローライフで豊かな人生を・・・
もっと早く、もっとたくさん・・・と、世の中が動いている中、
生きることをもっと見つめ直したい。
もっとゆっくり、もっと自然で、もっと素直でいいんじゃない!?
女性の生き方が豊かになりますように・・・。

自然の中に、身をおくと、とても穏やかな気持ちになる。。。

木々を渡る風の音や、水が流れる音。

自分が本当の自分に戻れる場所がある。

そんな経験をしたことから、自然の中で生きることの大切さ、

物を作り出すことの大切さを考えるようになりました。

食のこと、自然のこと、文化のこと、そして、人とつながる、

私の仕事のことを綴ります。

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「大往生」という言葉。

時々耳にしますが、どんな意味があるのでしょうか?


私は、長寿を全うした方は、皆さん大往生だと思っていましたが、祖母の看取りをする中で、「大往生」の本当の意味を知りました。


95歳の祖母は、ここ数年、誤嚥性の肺炎を起こしては、入退院を繰り返していました。

今年も、前半に一度入院し、その時は回復して、一応口から流動食を食べられる状態になって退院したのですが、9月に入ってまた入院。

その時には、もう飲み込む(嚥下)の力が弱っていて、口から食事をとることが出来なくなっていました。


十数年前から、アルツハイマー病で徘徊も頻回になったため、持病を持つ私の両親との同居が難しくなり、施設に入所していたので、その施設の方とも相談の上、退院後、看取りの介護をすることになりました。


入院中に見舞うと、まだ点滴をしていたので、肌にハリもあり、看取りの介護を受ける人には、とても見えませんでした。でも、やはり口から食べ物を取ることが出来ず、水分もむせてしまう状況では、食べ物や水分を与えても、肺炎を起こして本人が苦しむだけということで、予定通りに退院し、施設で子ども達(母と兄弟達)が、入れ替わりで付き添うことになりました。


退院から6日後に見舞うと、やはり入院中とは様子が一変していて、やせ細り、意識もあまりはっきりしていないような状態でした。


そして、その翌々日くらいから、血圧の低下や呼吸数の増加が見られるようになり、酸素濃度も少しずつ下がってくるようになり、夜間も付き添うようになりました。


退院から9日目、その翌日から3日間、見舞うことが出来なくなるために、お見舞いに行くと、呼吸が荒く、血圧も測りづらくなり、呼吸数もさらに増えていました。


そしてその日の夜中、静かに息を引き取りました。


この母と兄弟、そして施設の方が、自然な祖母の最後を看取ることを選び、そして本人が苦しむことなく、天授を全うしたことが、『大往生』だったのだそうです。


施設とのご縁で、看取りのスペシャリストである大井 玄先生に最後の診断を受けた祖母は、診断書の所見に、「大往生であった」というコメントを頂きました。

最初は、祖母一人の「大往生」だと思っていたのですが、その「大往生」は、支える家族また家族に代わりお世話下さった施設の方達がいてこその『大往生』だったのです。


大井先生は、自然死が少なくなったと言っています。

枯れるように、人生の幕を閉じる自然死こそ、『大往生』なのだと。

そして、そこには看取る家族がいることに意味がある。


やはり自然が良いのだと再認識しました。


「天授を全うする」という言葉がぴったりな『大往生』


祖母の看取りを通じて、死生観が少し変わりました。


“死”は怖いものではなく、自然なことであることを理解できました。


祖母が残してくれた大井先生との出会いに感謝。

(対面はかなわず、本を通じてですが・・・。)