損得勘定抜きに、したいと思ったことをする
したいと思ったことをするって、何か特別なことのように思っていた。行きたいところに行くとか会いたい人に会いに行くとか、食べたいものを食べるとか。だけど、そういうことじゃないのかもなぁ小4くらいのときに考えてすることじゃなくてしたいと思ったことをしたらいいと言われたゴミを見たら拾おうと思った節電したいと思った地球にいいことをしたいと思った空が美しくていつまでも見ていたいと思った地球がいつかなくなるのは切なかったそんなセンチメンタルに浸るみたいなこと恥ずかしいと思ったゴミ拾いなんかしてもお金にならないしあたしがごみなんか拾ってもなんにもなんないしあたしがなんかしたところで地球はきれいにならないし意味がないと思ったなんの意味もないと思った医龍って漫画で、最初の患者を亡くした医者は泣くけどもそのあとは心を感じなくさせて泣かなくなるというような話が合った。たくさん人がなくなる現場でいちいち心を敏感にして泣いてはいられないのだろう。でもある女医は、心を感じなくさせたりはしなかった。人前で泣くのをやめたのか、涙じゃないもので心の動きを出したのかわからない。患者が死んで、そのたびに傷つく心と歩いてきた姿をみてきた看護婦が、自分の治療をその女医に任せたいと言っていた。そこで描かれていた心を感じなくさせていた医者をおろかしいとおもった。わたしは、それをしていたらしい。心を敏感に保つことは面倒くさい。こんなのになかなか付き合っていられない。でもずっと、心を敏感にしていることを望んでいたなぁと思う。そんなことをひっぱりだされて涙が出てきてしょうがない。泣くことだって面倒くさくてずっと泣きそうなことを回避してきた。無意識に。泣きたくない泣きたくないそう思うのに世界には泣きたくなることがたくさんだ。いいこともわるいこともいいもわるいもないこともそんなたくさんの泣きたくなることが押し寄せてきてああつらい。でも自分を取り戻せたようなそんな気もしている。